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物への執着を無くす

災害や火事や不慮の出来事が起こる度、そこにあった物は殆ど廃棄物となる。
廃棄された物が多ければ多いほど元の生活に戻るのを阻む。
物に依存して暮らしていた証。
物に依存せず、シンプルに暮らすためには日頃から物を持たない、これに限る。実際はなかなかできない事なのだけど。

こんな事をいつも思いながら、考えながら、暮らしているんだけど、ローランドがYouTubeで同じような事を言っていたので嬉しくなった。(単純)


彼は、自身の身軽さを鳥の羽根とシャンパングラスに喩えていた。

なるほどなぁと思った。

もっているものが軽いと高いところから落下してもさほどダメージはないが、逆に重いと衝撃が強く粉々になってしまう。


ちょっと前まで私は物を溜め込み、欲しいものはローンを組んででもすぐに手に入れ、つねに押入やクローゼットはパンパンだった。
一年に一度、陽の目を見るかどうかもわからない物たちに生活スペースの殆どを占領されていたが、苦痛ではなかった。
むしろ、溢れる物に満足していた。
働いてお金を貰ったら貰っただけ使って、物が増えていくさまを仕事頑張った証、みたいに思ってた。

今はそういった物が随分減った。
そして新たに物を手に入れる時、よくよく考えるようになった。
【この物は本当に今の私に必要なのか?】
一旦立ち止まって考え、時間を置く。
しばらく経つと、大抵の物は欲しいとは思わなくなっていて、そのことも忘れてる(笑)
私が欲しいと思う物だいたいが、生きていく為に必須な物じゃないってことなんだよ。

物に対しての執着も随分捨ててきた。
それこそ他人から見たらゴミにしか見えないであろう木で出来たカエルの置物やら、大昔の恋人から貰った自分の愛車のミニカーとか。
それら物にはそれぞれ、旅行の時の、恋人とのやり取りなど、思い出があって、物を捨てることは思い出がなくなる、と考えていた。

でも、違うと気付いた。

物を処分しても、思い出はある。
もちろん覚えてるし、頭の中で回想し思い出に耽ることもできる。
認知症になってしまえば忘れてしまうかもしれないが、それはその時だと思ってる。


思い出は物には宿らないと考えるようになった。
自分の心に残ってるものだ。
それを体感することができてから、今の私は安心して物を処分しまくっている。(笑)



私の持ち物。まだまだ削ぎ落とす余地はある。