はじめまして。


はじめまして。

2歳の一人娘を育児中のアラフォー主婦です。

子供の集まりや習い事などにはわりと積極的に出かけたりするものの広く浅くのお付き合い、

家族以外の人と遊びに行くのは非常にストレスフルなタイプです。

noteにて、自分のこと、家族のこと、色々考えたことをまとめていきたいと思います。


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突然ですが、私は幼稚園〜小学校低学年の間「場面緘黙症」でした。

(「何も話さない子」だったのは幼稚園の3年間、小学校に上がってからは、慈悲深く?声をかけてくれた子や自分の決意もあり、徐々に声を出せるようになりました。が、自分の言いたいことは言えず、他人の意見に同意するのみといった、「目立たない緘黙」だった期間は中学くらいまで続いたかと思います。アラフォーの今でも家族以外の人と接する時には心拍が上がります)

今でこそ、ほんの少し知名度が上がってきたかも知れませんが、おそらくほとんどの人が知らないと思われる場面緘黙症。


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(Wikipediaより)
場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)、選択性緘黙(せんたくせいかんもく、英: Selective Mutism,SM)とは、家庭などでは話すことが出来るのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、ある特定の場面・状況では話すことができなくなる疾患である。 幼児期に発症するケースが多い。


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飲み会が苦手、上司が怖くて緊張して話せない、などのレベルを超え、「はい、いいえ」の声すら出せない、時には行動が非常に緩慢になる、またはフリーズしてしまう「緘動」といわれる状態になることもあります。

(ここで私が下手に説明するより、もし興味を持っていただいたらググってください…)

(あと、初めから脱線しますが、、場面緘黙は、「話したいのに話せない」とよく説明がされていますが、個人的にはあと少し付け加えたいなと。例えば、視線をチラッと合わすとか、手を繋ぐとか、何となく同じことを考えているなと思った子とニコッとしあってみたりとか、、話す以外の交流手段でも、自分の場合はうれしいと同時に、すごく恥ずかしいという思いがありました。本当は友達が欲しいのに、いざ自分の手元にその瞬間がやってくると体が自動的に拒否してしまうよう。

文章にする、人伝えに自分の気持ちを伝えてもらう等、ワンクッション置くと楽になる。そんな感じです。

ただし、場面緘黙は十人十色なので、あくまで私の例です)


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私がこの症状だったのは、今から30年以上前のこと。自閉症や多動、という言葉を聞くことがせいぜいで、発達障害(注:場面緘黙は発達障害のくくりに入っている訳ではありません。今のところ)に対する知識なんて関係者以外にはほぼ無いに等しい時代。学校では「知恵遅れ」なんて言葉がまかり通っていました。

そしてもちろん、場面緘黙なんて知っているわけもないので、私自身も、周りからの評価通り「大人しい」「神経質」と自分を評価していました。

家で話せるのに社会や学校など外の場で話せない。ただ大人しく引っ込み思案な子なんだろう。

(引っ込み思案とよく言われました。こういう言葉を聞くと、心臓がキュッッと縮まるのですが、言っている人はハッパかけようとしているんですよね。もしくは思ったことそのまま垂れ流しか。ありがた迷惑極まりない)

幼稚園でも、絵を描くことや手先を使うことがわりと得意、学校の勉強も小学校ではさほど苦労しない、となれば、教師からスルーされても仕方なかったと思います。そういう時代だったので。

(先生に会う機会があれば、恨み節の一つでも言おう…と思っていたら、いざ同窓会で見た先生は昔のイメージと違い温厚で意外と物静か(年齢のせいだけじゃないはず)子供にヨシヨシしてくれ、昔の自分がいかに大人を恐れていたのか、ちょっと恥ずかしくなりました。。


「引っ込み思案」な私の、幼稚園・学校エピソードはまて後ほどまとめる予定です。

今回は、とりあえず思い出した、特に幼少期の自分のアレレ?なこと(現在は割と薄まっているもの含め)書いてみます。


・ノリの良さを求められる場で白けてしまうタイプ。スポーツの応援、クラシック以外のコンサート、周りが盛り上がると同時に自分は盛り下がる笑 若い頃の集団あれこれ、大学での飲み会、拷問でしかなかった。(けれども、今はご飯食べに行ったりはわりと好きです。でも疲れるのでなるべく食事は一人か家族とで十分。)

・他人の名前を呼ぶことが苦手。なぜか分からなく、治したかったけれど治らないので仕方ない。
本人と対面した時。会話の中で◯◯さんが〜、と話すことには抵抗がない)
名前を呼んだ時点で、相手と親密な関係性ができてしまうと感じ、強い抵抗感がわいてしまう。
ただし「自分が付けた」変なあだ名では呼ぶことができる。(友達を作るのがとんでもなく苦手な私でも、まれに波長が合う人に出会う)
…自分に親和性のない言葉や物事に対して拒否感が強く、自分ルールが強い(繰り返すけれど、わざとではない)

・モノに対して、惚れ込みはまることが幼い頃はよくあった。健全なものから、自分でも理由が分からないものまで様々。

健全なものは特定の音楽や配色など。(幼い頃からピアノをしていて、絶対音感があるが)特定の曲や音に「恋して」しまうことが定期的に起こる。恋愛感情なみに幸福感や切なさ?を感じる。聴くたびに涙が自動で出てしまう。

理由が分からないものとしては、小学生の頃、異様にバスの番号に魅了され、メモ帳を持ち歩いて目にした番号を書き留めていたこと。一年ほどブームが続いた。あと、好きな服のブランドのロゴやデザインが頭から離れず一日中ずっと考えていたり、ロゴを模写していたりしたこと。(今書いてみると、別に不可解なものでも何でもないかも)


・ビビットカラー(濃い赤、黄色、緑など)の服やバッグを身に付けられない。大きなブランドロゴなども苦手。主張が激しい服を身につけると、まるで他人が入り込んでくるかのような拒否感がある。好きな色は流行のくすみカラーなのだが、みんな身につけているのでそれに合わせるのはヤダ笑


・歴史、人物史などにあまり興味がなかった。おそらく今も。身近な人には興味関心を持つけれど、自分に直接関わりがなかったり、とうにご存命でない方の伝記などに興味を持つ資質は皆無の様子。


・ニュースにも興味が薄い(薄かった)。興味がないというより、毎日チェックするのがしんどいということもあるかも。基本、自分のことばかり考えていて、時代に乗り遅れる。

・(年号など無意味なものの)暗記が苦手。ワーキングメモリが低い。数学の証明などを何時間も考えたりするのが勉強だと思っていた。(嫌なことはやらない、ダメな人)


こう書いてみると、ASDぽい香りが漂っているのですが、今は、ほとんどこれらのこだわり的なものはありません。自分で、周りと合わないことを否定し、周りに合わせようと(拒否感を感じても押し切った)したことで、一度崩壊し、、その後は良くも悪くも凡人化していると感じます。 

人に対する緊張感は何年緩んでいると感じて、そこは幼い頃の望みが叶ったわけですが(友達と普通に話したい、が望みだった)今、何か大切なものを失ってしまったような、、生き生きしたリアルな感覚を自ら踏みにじってしまったような気がして、ちょっとつまらなくも思ったりします。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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