[映画鑑賞]高校生がぼっちで『エゴイスト』を観に行った話
昨日公開された映画、『エゴイスト』。
正直に言おう。見事に号泣してしまった。
映画で感動することはあれど、今まであまり泣いたことはなかった。恐るべし、松永大司監督。
個人的にとても響いた作品だったので、この感動が冷めないうちに文字に起こしておく。
⚠️ここから先はネタバレを含みます⚠️
人目を気にせず号泣してしまったシーン
人前にも関わらず、めちゃくちゃ泣いてしまったシーン。
それは、龍太の葬式で、泣き崩れている浩輔と龍太の母が話をするシーンだ。
母は、龍太にとって浩輔は「大切な人」だと気づいていた。
それを受けて浩輔は「ごめんなさい」とひたすら謝る。
そこがもう、だめだった。
自分の愛が大切な人を追い詰めていたのではないか、という浩輔の想いが「ごめんなさい」を通して痛いほど伝わってきた。
思い出したらまた泣きそうになってきた。
本作品の“魅せ方”について
なんといっても、リアルさ。この作品の魅力は?と問われると、この一言に尽きる。
実際にLGBTQ +の側面からも、演技においての指導があったらしい。
それもあってか、「当事者側でない人間が勝手に想像して制作した作品」ではなく、ほぼ「当事者のありのままの一生を切り抜いた作品」として捉えることができた。
当事者の自分が観ても、殆ど違和感が無かったどころか、間や感情の流れなど、共感できるところが多々あった。
あとは、カメラワーク。ノーカットで被写体を追いかけるように切り取っているため、臨場感があった。
帰りの汽車で考えたこと
結局、「愛」は「エゴ」の塊であって。
今年でこの世に生を受けて17年になるが、「愛」の定義を考えたことがなかった。
人を愛することは、ただの自分の気持ちの押し付けなのか。「守ってあげたい」「幸せにしたい」などの気持ちも、言ってしまえば「エゴ」なのか。
じゃあ、逆に愛を受け取ることは?やはり、相手のエゴを受け取ることにあたるのだろうか。
重い、と感じるタイプの愛と、そうでもないタイプの愛は何が違うのか。それはただ単に自分の受け止めかたの問題な気もする。
愛とエゴについて、これからの人生を通して深く、ゆっくりと考えていきたい。
素敵な作品に出逢えて良かった。
制作に携わっていただいた全ての人に感謝を申し上げます。
ご清覧ありがとうございました。
自販機のコンポタでした🌽
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