BUMP OF CHICKENの歌詞と私の人生
BUMP OF CHICKEN
小学生
彼らの代表曲天体観測で知った。
なんてかっこいい声なんだろうと思った。
何故か天体観測の入っているjupiterではなく
ユグドラシルというアルバムを買って母にウォークマンに入れてもらった。
今思えばあの時の私に藤原基央の紡ぐ歌詞の孤独も社会も痛みも優しさも理解出来なかっただろう。
ただ彼の歌い方が大好きだった。
中学生
私は女の子特有の陰口文化に耐えられなかった。
言うのも言われるのも面倒くさい。なんて言ったら余裕そうに見えるか。
感受性が豊かすぎて本当に疲れていた。
敏感すぎるし自己肯定感はずっとない。
なのに毎日元気に笑ってた。
あの時も今もずっと平気なフリは得意だ。
帰り道に病気を疑うほど滅入っていた毎日。
そんな時、私は決定的に暗闇に突き落とされた。もう書きたくないが大切な人がこの世からいなくなったこと。
音楽に縋った。必死に。
私がよく名前を出すバンド、ハンブレやボイガルやフラッドはその時からずっと救いだった。
この時を節目に“人生バンド”なんて言葉にして今でも大切に思っている。
ただ暗闇に落ちても続く生活の中でなんとなく聴いたBUMPのギルドが、苦しいほど刺さった気持ちを忘れられない。
ただ彼の声が好きでいた音楽が確実に特別になった日がある。
そうやって落ちる事がある度にBUMPの楽曲ひとつずつ特別になっていった。
中・高校生の間の大きく人格形成をされる期間で狂うようにロックバンドにハマりBUMP以外にもたくさん“救われた”と感じる音楽がある。
音楽の話を出来る友達はいなかったけど、誰よりも好きだったと思う。少数派だからとかではなく、そこに費やした時間に自信があったから。
ただ、BUMP OF CHICKENが原点だと胸を張って言える。
私が文字を好きになったきっかけだ。
言葉の美しさを知った。でも言葉は心ではないことも。
だからこそ、文字を繋ぐことを大切にしようと今でもこんな流行らない自分語りを続けている。
ずっと優しい人でいたかった私に
優しさについて考えさせてくれた。
あの時傷ついた心が治ってる感覚は人生で一度もない。傷は治らないことを共感してくれた。
生きていなきゃどうにもならないけど
どうにもしたくないから終わりにしたい。覚悟もないくせに。
そんな日ばかりの私の耳元で終わりにする必要はどこにもないことを歌ってくれていた。
学生時代はこうやって毎日BUMPの音楽を聴いて自己と生活と大人を探していた。
社会人
何度でも傷つく。学習能力のない心が悔しい。
中学生から何も変わっていない。
あの時学校でもっと上手く生きる方法を教えてくれたら私はこんなに音楽に頼って生きていない。そうやって何かのせいにしていることも腹が立つ。
いつまでも自分を好きになれないまま歳だけを重ねた。
ただ私はBUMP OF CHICKENに何度も会いたい。
落ちても落ちても生きていなきゃ会えない。
最後にBUMPを見た日の続きをただ生きている。
次会う日まで。
未来
あの日もあの夜もやめずに続けた呼吸があって、
生きていたから会えたんだよと言ってくれた人。
私はこれからも彼らに救われるだろう。
そして、BUMP OF CHICKENの音楽を
絶対に子供に聴かせたい。
心が私に似てしまった時
同じ気持ちに出会って欲しい。
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