見出し画像

死にたい日に音楽を聴く

安全地帯で140字で表せない激イタな音楽への愛情と不信感。そして自己憎悪を綴っては、下書きにしまって、結局1ヶ月noteを更新していなかった。
この1ヶ月で私は生活環境が大きく変わった。
でも相変わらずライブハウスに通っている。

丁度1ヶ月前、本気で苦しい出来事があり、鬱が来た。
解決はしていないが、逃げることをした。
今は苦しい環境から離れることが出来た。思い出す記憶が最悪でも少し人生を踏み出せたし“辛いことから逃げることができる”これも立派なことだと自分を褒めてあげた。鬱になる前に踏み出せば良かったのだが。まあそれはもう置いておこう。
落ち着いたので、その時期を経た音楽への気持ちをまた書こうと思う。


そんな目しないで
世界で一番お前が正しいんだよって俺が歌ってやるみんなの前で

クレイジークレーマー/andymori

死にたい時にいつも耳元でそう言ってくれるandymoriはいつになったらみんなの前で歌ってくれるのだろうか。
私が愛したハヌマーンもtetoもandymoriもライブハウスへ行っても会えない。
私を救ったあのロックスターはもうライブハウスにはいない。

そもそも音楽って、置かれている状況を変えてくれないし、私のような人間のための曲があっても、私のための曲はないし。
みんな孤独だ とか みんなひとりぼっちなんでしょ みたいな分かったような言葉を放つバンドマンを見て悲しくなったりしてはその人たちの歌は結局“誰も一人じゃない系の歌が遠くで聴こえている”それだけになってしまっていた。そんな思考回路の自分が1番最悪だ。その歌もどこかの誰かを救っているのにな。

ライブハウスに行ったって、例えその時の感情が動いたとしてもその状況を乗り越える勇気が湧いたことはない。

ただ確実に その時の呼吸 はもらえる。

1ヶ月前の苦しい時期に何を思い立ったか突然地方のライブハウスに行って、全てを放棄した。
笑うことも泣くことも手を上げることも。
箱の1番後ろ。ただひたすら真顔で目の前のバンドを見つめていた。

ライブ良かった なんてツイートしながら、
帰り道にまた死にたくなった。

ただ呼吸だけはしていたな。呼吸すらしたくなかった時に。

ライブハウスは私に 呼吸 をくれる場所だ。
だから行くんだ。

これを再確認した1ヶ月前だった。


死にたいと口に出した以上は死ななきゃファッションメンヘラ呼ばわりされる世の中も納得出来ないし、死にたい人は音楽を聴かない とかそういう何も知らないくせに個人の価値観で誰かを否定をする人のことをとても軽蔑する。

これからも私は死にたい日に音楽を聴く。

自分でも何を思って苦しい日に音楽を聴くんだろう。と思うけど。
音楽の何を否定して事実を自分に突きつけたって、いつだって期待が捨てられないんだ。
結局縋っている。分かってほしい どこかでそう思っているんだろう。
落ちている時は気付けないが少し経てば、そうやって再生ボタンを押し続けているうちはまだ生きていたいのだと分かる。
私のような人間のための曲を私のためだと思い込んで、そうやって生きてきたからここにいる。
それで良い。

死にたいと言いながら音楽を聴く私もあなたも、誰にも分かられたくない気持ちと分かってほしい気持ちがあるのかもね。何言ったって結局、音楽があって良かったんだよ。


だからもう

誰にも頷かなくていいのにね。

いや

誰にも頷かないでくれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?