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ライブハウスの中すら上手く生きられないけど


日常を忘れちゃえってスタンスでライブハウスに立っているバンドを見て死にたくなったことがある。心に響いた音楽を聴いた帰り道に死にたくなったことがある。
私はライブハウスが好きで行っているのに、置かれている状況次第ではしんどい時がある。
それは行ってみなきゃ分からなくて
音楽の前でしかどれだけ日常を我慢してきたのか分からない私にとって難しいものだ。

こんなに行ってるのに、ライブハウスの中では周りが気になるし、今日の仕事も明日の仕事も怖くて忘れられない。

逃げてきたって言ってしまえばそうだから。

だからこそライブを夢の場所だと言われることが居心地が悪い。
どこまでも私の現実で日常であってほしい。
そしたらここに来たことも逃げではなく生活になるのに。

そんな私が大切にしている言葉や音楽がある。

さよならポエジーが
「生活の延長線上にライブと音楽がある」
と言ってくれたこと。

THE BOYS&GIRLSが
「あなたが日常を引きずってそれでもいいと思えるライブをしたい」
と言ってくれたこと。

時速36kmが
「今日のためじゃなく、明日のため、5年後10年後のためにライブをする」
と言ってくれたこと。

ハンブレッダーズが
「最後尾で手を挙げずにじっと聴いてる人のことを忘れたらロックバンドは終わり。」
と言ってくれたこと。

そしてCRYAMYやa flood of circleが
あなたに生きててほしいと音楽にしてくれたこと。

大切にしている。本当に。

「これ以上、救わないでくれ」
あの日そう叫んだ炙りなタウンが忘れられないよ。

結局私のnoteは前のアカウント時からずっと変わらず、世界と自分が嫌いで音楽が好きな自分を書き続けてるだけ。
言いたくない。救われようとして縋ってライブに行く。そうして楽になるしか方法を知らない浅い人間だってことを正当化しているだけなんだから。
私はもっと別の言葉が言いたい。
ただ気持ちの着地点はいつも同じだ。

その気持ちを同じライブハウスにいるからってだけの隣にいるあの人にわかるわけない。

でも私は隣にいるあの人が何故あの曲で泣いていたのかわからない。

何もわからなくて、居心地が良かった。

みんな抱えている。そう信じている。

普通の感覚からしたら、そもそもお金払って行ったライブハウスの帰り道に良い気分になれない日があるならそんな趣味やめれば良いと思うし、間違いないのだけれど。
私は日常がどんなに嫌でも、嫌だからこそ
生活もライブハウスの中でも上手く生きれない私のことを肯定してくれた人達のライブはずっと最新をみていたい。ライブに行って感じた“好き”が過去を守れる気持ちだから。

自分に音楽が好きという気持ちがなければどうなっていたのだろう。
なんとなく、もう少し上手く生きていたのかもしれないとも思う。
私の感性を作り出したもの。

これでいいんだ。

でもそれなりの才能で俺は俺を救ってやろう
苦悩の割に実りのない この感性を愛している

二束三文/さよならポエジー

私にもあなたにも音楽を楽しむ才能があるよ。

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