私がめんどくさい女の子ほどのめり込んでしまう理由
はじめまして、ドクぺミントです。
私はどうやら、めんどくさい女の子が好きらしいです。
愛情が慢性的に不足している女の子、いわゆるメンヘラと呼ばれる部類の子と共依存的な関係になることが多く、相手を助けるために100万円ほど費やして21歳で破産したこともあります。
それでも私は誰かと付き合うことが嫌にはならないし、人間が大好きです。
自己紹介代わりに、私の恋愛観を書き連ねていきます。
相手の全てを受け入れたい
私は基本的に、良いところも悪いところも含めて相手のことをすべて知りたいし、受け入れたいと思っています。
悪いところというのは、相手の抱えているコンプレックスであったり、トラウマであったり、直面している問題であったり、相手が自分のことを醜いと感じている部分のことです。
私はそれを悪いところだとは思わないし、むしろ人間の醜い部分にこそ美しさや儚さを感じています。
なので相手が嫌っている自分を受け入れて肯定してあげたいし、支えて少しでも楽に生きられるようにしてあげたい。
あなたが想うこんな私のままでも生きていていいし、よく頑張っているねと伝えてあげたい。
そういった理由から、大変そうに見える人に私から声をかけてしまうことが多いです。
私が愛さなきゃ誰が相手を愛すのか
コンプレックスを抱えている人には、幼少期から親御さんの愛情を満足に受けることができなかったり、自覚のない歪んだ愛情を押し付けられていることが多かったりします。
愛情が枯渇していると、孤独ゆえに衝動的に誰かと付き合って傷ついてしまったり、浮気をしたり、お金を取られたり殴られたり浮気されても何も言えなくなるような都合の良い女の子になって、取り返しのつかないことになることも多いです。
それを繰り返していくうちに自分で自分のことをどんどん嫌いになってしまい、自分自身を必要以上に攻撃してしまったり、自傷やODに走ることもあります。
その地獄のような悪循環から抜け出すには、誰かが本気で愛して、自分の愛し方を教えてあげなければいけないと思っています。
なので身の回りの世話を焼いてしまったり、お金や時間をかけれるだけかけてしまいます。
それだけでどうこうなるものでもないですが、これ以上苦しませたくもないからです。
生きることを諦めて欲しくない
誰からも愛されず、自分の思うように生きることも叶わなかった人は、ただ死ねずに日々を過ごしているだけになってしまう人が多いです。
その人は悪くないのに、ただ周りの身勝手な都合に振り回されて、絶望して、疲弊して、どう生きて良いのかわからなくなってしまう。
そんなのはあんまりだと思うし、どうせ生きるしかないのなら少しでも楽に生きて欲しいと願っています。
そのためには相手の環境を変えなきゃいけないので、悪い環境にいるなら連れ出してみたり、通院ができないのであれば車椅子を押してでも付き添うわけです。
結局は私のエゴ
私は相手に自分のすべてを捧げるつもりで尽くしますが、結局こんなものはすべて私のエゴです。
私はこういう愛し方しかできないし、それを誰にでも向けてしまう。
なので感謝されるいわれもないし、別に特別なことをしているわけでもないのです。
しいて言えば、それで相手の生きづらさが少しでもマシになれば私も幸せだなという話でした。