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生と死と不自由と自由

フィクションとノンフィクションのあいだって便利な言葉だ。

鬱にならない人の特徴って、うまくストレス発散できるとか栄養と睡眠ちゃんととって日光浴びてるとかいろいろ言われるけど、いちばん重要なのは今生きてる世界を疑わずに居られるかどうかだと思ってるし私には無理!

置かれた場所で咲くのは立派だけど自分が咲ける場所を探すのも大事よね

私は愛されているということを事実として認めてて、愛してくれる人たちのために自分を否定せずにいるだけで、別に自分は自分のこと好きじゃないなと思いあたってかなり虚無

故人のことを愛せなかったので複雑だとこぼす友人の話を聞きながら、じゃあ自分の愛する誰かが亡くなったとしてもきっとそのひとに傷付けられたひともいるんだよなって当たり前のこと思った。

昆虫たちを出されてもたぶん食べられないけど、昆虫とエビなどを比べて(見た目的に)何が違うのかもわからないのにそれらは美味しく食べるから、先入観や刷り込みってすごくて怖い

私の自認は『私』でしかないのだけど、生物学上は女というだけであらゆる生きづらさにさらされているのあまりにも理不尽を感じる。生物学上の男もそうかもしれない。みんなが生きづらくてよくないね。

わかめスープのわかめが多すぎる

いのち、生きているだけで無限に苦しむのに、いずれ必ず来る死をできる限り回避しようとするのかなり不思議だ

死にたいと思いながら生きることを偉いと褒められるものの、一体誰のために偉いのかはわからない

大きな図書館の夢を見た。そこにある書物すべてが書かれている内容をそのまま強さにして書物同士が争う世界観で、自分の好きな本を探したけど一冊もなかった。

あらゆる対立だるすぎる
あなたは人間  わたしも人間  相手の嫌がることはしない
おしまい

猫の抜け毛をまるめた毛玉を間違って掃除機で吸ってしまった

自分で自分の正しいと思うことをやっていくしかないという話、そしてその正しさが偏らないように学び続けないといけないな~と思う、思うだけにならないようにかんばる

普通や健常、つまり社会にとって都合がいいということだなと思うのでそこから外れていると感じても悲観はしなくてよさげ

最寄りのバス停までの道は、歩道と車道の境界があいまいだ。そのうえこちらへ向かってくる車が見づらい角度でカーブしているから、いつも気が付くと目の前に車が迫っている。その度に、いま一歩踏み出せば、すべてから解放されると思う。楽になれると思う。私の狭い歩幅たった一歩ぶんの距離が、生と死を分けている。不自由と自由を分けている。




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