キャラを「やりにいっていた」先生たちの思い出
学校を舞台にしたフィクション作品には、様々な先生が登場してきた。
その代表格と言えば、武田鉄矢演じる「金八先生」こと坂本金八だろう。
彼の言動は、多くの人にマネをされてきた。長い髪をかき上げながら名言を言うあのモノマネだ。「人という字は――」だったり「腐ったみかんです」だったり。
私たちがTVショーで見る、いわゆる「モノマネ」は、真似る対象のクセなどを誇張したものだ。
以前テレビ番組で、先生のモノマネをプロが本気でやったらどのぐらい生徒にウケるのかを検証する企画をやっていた。
そのモノマネを作る際に、芸人たちは、口癖や、誇張しやすい個性をしっかり確認した上でネタ作りに臨んでいた。
「金八先生」のモノマネと、実在の先生のそれと間には大きな差がある。
前者はフィクションの登場人物である。だから、武田鉄矢の演技の「クセ」もキャラ付けに無関係ではないが、生徒と徹底的に向き合う男気あふれる国語教師というキャラが元々設定されていた。
対して後者は、日常の「クセ」から、芸人らがキャラを見出していた。
私たちは、先生や同級生を「キャラが濃い」人たちだと思い込む。
しかし、多くの場合、別にそんなことはないのだ。
そのキャラの濃さとは、どこにでもある「クセ」を、一定期間接するうちに見出した結果に過ぎない。
私の通っていた高校にも、様々な先生がいた。
やはり私も例に漏れず、変わった先生が多いなあ、なんて思っていた。
先述の通り、多くの先生は私(たち)が「クセ」を「過大評価」していただけで、今思い返せば大した「変わり者」でもなかった。
語尾で尋常でないペースで「ね」とつける生物教師、「例」という漢字がどう見ても「くるり」になっている数学教師――。
彼らのことを、懐かしいなあ、と思い返しながら、しかし同時に脳裏をよぎったのは、そうでないレアケースの先生たちのことだった。
ここでようやく今回の本題に入れる。
大した「変わり者」であり、そしてどう贔屓目に見ても「変わり者」を「やりにいっていた」先生たちについての話だ。
たとえば教頭は、日本史の先生だった。
彼は授業にピコピコハンマーを持ってきていて、なにか叱るようなことがあると、生徒の頭にピコピコハンマーを「ぽん」と優しく置くのだった。
糞味噌に怒らないための方策だったのかもしれないが、明らかに「やって」いた。
また、数学の先生もたいがいだった。
彼のシャツはいつも襟がピンと立っていた。あまりにも動かなかったから、あれはしっかりとノリが利いていたんだと思う。
これだけならば、そういうこだわりを持った「変わった人」という可能性もあった。
しかし私は、休日に街を歩いているとき、しっかりと襟を折ってシャツを着て歩いている彼を見かけたことがあった。
つまり、彼もまた「やって」いたのだった。
彼らも十分に「やっていた」のだが、「やっていた」という点において、私の高校一年生時の担任だった国語教師の右に出る者はいないだろう。
あれはたしか初日のホームルームのときだったと思う。
何が理由だったかは忘れたが、当時クラスの誰かが、私語をするとか、手遊びをするとかしてその教師を怒らせたのだった。
彼は怒った顔で、「ちょっと」と言った。
「これは、担任の初怒りだ」と私たちは身構えた。
すると彼はおもむろに、「ドブネズミみたいに」と、THE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」を歌い始めたのだった。
我々が何事かと当惑していると、彼は「サビ行ったら怒るよ」と言った。
どうやら「リンダリンダ」と歌い始めるより前に反省の弁を述べたら堪忍してやるが、「リンダリンダ」まで行ったらどうなるか分かってんだろうな、ということらしかった。
説教のターゲットとなった生徒が謝ると、先生は「はい。ということでね、僕は怒る前にこうやって予告をしますからねー」と、平素の声で言った。
あれは突発的にブチギレないよう、「人にやさしく」するための方法だったのかもしれない。
しかし、怒る前に「リンダリンダ」を歌うというのは、やはりあまりにも「やって」いたと思う。
何でもないような「クセ」が、大したことだと思っていた先生たちのことは懐かしく思い出せる。
しかし、「やって」いた、あざとい先生たちについては、どうにも「あれはなんだったんだろう?」が先行してしまう。
この話から得られる教訓はシンプルで、あまり強くキャラを「やる」ものじゃない、ということだ。
きっと先生なんて、大学生になってから、「面白い先生がいた」と内輪ノリで友人に話してしまい、ぽかんとされる程度の「逸脱」でいいのだ。
無論、先生ではない私たちも――。
ピコピコハンマーも立った襟も「リンダリンダ」も必要ない。
【今回の一曲】
The Rolling Girls/リンダリンダ(2017年)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?