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自分の話をするのが相変わらず苦手すぎる

自分の幼少期とか、中高生時代のことについて聞く機会が去年は多かった。

なんだか、そういう話をすることが多かった。

しかし、自分からそれについて話した記憶はあまりない。

そのような話題で、私はいつも聞き手に回っていた。


また、去年はわりとオフ会をした。

それは、私が休職していて暇だったというのもある。

そこで出会った一人に、あまり自己主張しない、自分開示をあまり行わないという評をもらったこともある。

それについても、言われてみて、ああそうだな、と思った。


私が、上述の話題のときに話し手に回らなかったのも、自己開示をあまりしないのも、それが苦手だからだ。

なぜ苦手か。

私には、私自身のことが、よく分からないからだ。


ずっとそうなのだ。

大学で研究室や専攻を選ぶに際してさまざまなものに興味があるような顔をしていたが、実際に興味があったのは、自分のことでしかなかった。

果たして自分は、なにを欲望しているのか。

あるいは、それと対照的な問いとして、世の人はなにを欲望するのか。

それを「学問」の枠組みで、どのように扱えば良いのか分からず、いろいろなものに目移りをしていただけだった。

社会学だったような気もするし、マーケティングだったような気もする。精神分析、行動経済、挙げようと思えばなんでも挙げられる気がする。


分からないことについて、人はうまく話すことができない。

だから、私は、自分のことをうまく話すことができない。

むしろ誰かに、その人から見える自分というものを教えてほしいと何度も思っている。

しかしそれを実際に口にするのは、小っ恥ずかしい。

だから、私はいつもその願望を実行に移せない。


それでも、一度試みたことがある。

それはこのあいだの年末年始に、実家に帰ったときのことだ。


昔のこととして、幼少期や、中高生時代について話したと先述した。

もっと言うと、そのころにどんなものを観て育ったかということだった。

自分のころのスーパー戦隊はなんだったとか。

子供の頃、アニメでこういうのあったよね、とか。

中高生のころ流行っていた漫画ってなに? とか。


これらのうち、自分の歳と近くなれば、すなわち自分が大きくなった後であればあるほど、記憶に脚色はあるかも知れないが、分かるようになる。

そしてそれらであれば私にも分かる。

それは、一つの客観的な事実だからだ。


しかし、前のことになればなるほど、私には分からなくなる。

それは単に記憶にないからだ。

そして、そのころにどのようなものを観ていたのか、それはすなわち、どのような教育を受けていたのか、という話にもつながる。

ならば、その頃のことがわかれば、自己理解の一助となるのではないか。

短絡的かもしれないが、私はそのようなことを思ったのだ。


生きてきて、一番付き合いの長い他者は両親である。

それは、両親が健在である限り、否応にもそうである。

だから実家に帰ったとき、自分の幼少期について、私はさりげなく訊ねようと思った。

しかしやはり、正面から訊ねるのは照れがある。

だから、遠回しに、「昔のこととかさ、あんまりもう覚えてないなあ」なんてぼやきから会話を始めることにした。


するとどうだろう。

父はそれを聞いて真っ先に「そりゃ覚えてるわけないだろ」と一笑に付した。

そして私は、なんだかそれ以上頑張って会話を広げるのがバカらしくなって、「まあそうだよね」と言って、会話を切り上げた。


上述した通り、昔のことを知るには、そのよすがは親となるだろう。

しかし私は、両親との仲が良好じゃないし、特に父とはコミュニケーションがまともに取れない。

父は、自分が一番えらく、周囲のことをバカにしている。

だからいつも、吐き捨てるようなコミュニケーションを取ることになり、それで周囲の人すなわち私は不機嫌になってしまう。

果たしてコミュニケーションは、成立しなくなる。

私は迂闊にも、そのことを勘定に入れ忘れていたのだ。


そんなわけで、私には、いまだに昔のことが、ひいては私自身のことが分からないままだ。

だから私はまだ、自分の話を、うまくできない。

本当はもっと深く誰かと話し合うべきなのかもしれない。

しかし、それが私にはできない。

ああ、この歳でなにを言っているのか。


本当は、「めんちゃん㊙️情報」とか、やっている場合じゃないのだ。

それなのに、この自意識モンスターの自分ときたら……。


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