北風と太陽と麻雀

麻雀は最高のゲームだと愛好者は口を揃えて言う。

曰く、運と実力のバランスが絶妙であるとかなんとか。

最高かどうかには議論の余地があるが、良いゲームでなければアジアで3億人以上がプレイしないだろう。


私見だが、麻雀にハマれるかどうかの分水嶺は、ビギナーズラックに遭うかどうかだ。

麻雀を初めてやるきっかけは、きっとこんな会話からだろう。

「卓を囲みたいんだけど人が足りねえんだ。ちょいと混ざってくれよ」

「やめとく。ルール知らないし」

「そう言わずにさ。教えるよ」

世の麻雀愛好家たちの多くも、似たような感じだったのだと思う。


さて、ルールを教わったばかりの初心者が勝ってしまうことがある。

くだんのビギナーズラックだ。

麻雀ではそんなことも起こり得よう。何故なら麻雀には、運を味方にできるからだ。

しかし、これが本当に幸運であったかは疑わしい。

つまりこういうことだ――初心者が勝ったのは、本当に偶然なのだろうか?


雀卓を囲むのは、人数が足りなくても、捕まえてきた初心者に教えてまで打とうとする好事家たちだ。

だったら彼らには、初心者に勝機が僅かでもあるとき、わざと負けることもできるのではないだろうか。

彼らには「教える」という大義名分があるから、初心者の牌は見放題だ。

これほどイカサマしやすい状況はない。

それに、勝機を演出できるタイミングはすぐ現れる。何しろ麻雀は運を味方にできるゲームだから。


かくして初心者は、演出されたビギナーズラックへと誘い込まれる。

先輩たちは「筋がいいね」なんて白々しくも褒めるのだ。

私はここでイカサマを糾弾したいのではない。


私がここで言いたいのは、なにかに熱中するには、成功体験が不可欠である、ということだ。

苦しいだけで楽しくもないことを続けようとは思わないからだ。

初心者はビギナーズラックという成功体験をし、そこから麻雀にハマっていくだろう。

「やれ」と命じるのでなく、「やりたい」と思わせる。

さながらイソップ寓話の「北風と太陽」である。


麻雀は運と実力のゲームだ。

本来、実力抜きではなかなか勝てない。

初心者が熱中してきたと見るや、先輩たちは攻勢に転じるだろう。

この瞬間から初心者はカモだ。

やがてカモは成長し、自分がされたのと同様の手口でカモを探すようになる。

そしてカモにされる時期のことを、通過儀礼などと嘯くのだ。


これは悪いことばかりでもない。

カモとなる新参者がいること。

そのカモが、いつか自分が誰かを狩るという成功体験を(また)得たいと思うこと。

ある文化が長く続いていくためには、この二つが必要不可欠だ。

だから麻雀人気は根強いのだろう。


そんなことを、最初の麻雀で何も教えられないまま、散々にボコられた私は思う。

マジふざけんな、覚えてろよ、西野。

もう二度と、麻雀なんかしてやらねえからな。


【今回の一曲】

KREVA/かも(2010年)


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