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スキニーパンツなんて穿ける気がしなかった

ファッションにまつわる言説はたくさんある。

パーソナルカラーとか骨格診断とか。あるいはシルエットがどうとか。

しかし何より肝心なのは、その服に自身が怖気づかないかどうかではないかだと私は思う。


ファッションはシルエットと色で決まる――。

ある時、ネットで流し読みした記事にそう書いてあった。

シルエットを作って、色味の数を抑えれば整った印象になるとかどうとか。

所詮はネットの、あまりお金はかけたくないが無難でお洒落な格好がしたい層向けの記事である。

だから、どこまで鵜呑みにすべきかは注意が必要だろうが、私にはその記事を読んだ際に、ひとつ視界が開けたような感覚があった。

そして、なるほどだから黒スキニーか、と膝を打ったのだった。


男子とりあえず黒スキニー。

垢抜けたければ、おしゃれになりたければ、モテたければ黒スキニー。

私がそれを初めて目にしたのは3年ほど前、リツイートされてきた女子大生のつぶやきにおいてだった。

また、同様の記載はその頃試しに見てみた様々な記事に散見された。

つまり「無難なメンズファッション」に当時最頻出の「鉄則」であった。

しかし当時の私には、黒スキニーパンツへの信頼がなぜそうも厚いのか――その「Why」の部分が理解できなかった。


先述の記事に曰く、シルエットはA・I・Yの3つのライン、とのことだった。

Aラインは上半身細めで下半身太め、Iラインは全身細め、Yラインは上半身にボリュームを持たせ下半身細め。

それを読み、私にはようやく合点がいったのだ。

たしかに細身のスキニーパンツは、大人っぽさやお洒落さをを演出できるIライン、Yラインを作る際に重宝するだろう。それに黒はモノトーンカラーだから合わせやすく、さらに収縮色であるから脚長効果もあるのだろう。

なるほどだから――と。

しかし、私自身が実際に黒スキニーに手を出すことはなかった。

それを私に似合うように穿ける気が全くしなかったからだった。


当時は「なんか似合いそうにないなあ」ぐらいに考えていた。

しかし今にして思えば、私はスキニーパンツに怖気づいていたのだった。

そんな服、自分が着られるはずがないと思っていたのだった。


まあ、考えてみれば当然である。

スキニーパンツは「肉食系」の――言い換えれば三代目 J SOUL BROTHERS的な――アイテムである。対して、私は全然「肉食系」じゃない。

それを思えば、私がそれを似合うように穿けるはずがなかった。


言わばチーマー集団の中に一人無理矢理混ぜられたような居心地の悪さだ。

役割はきっと、お金を払わされたり、パシらされたりする便利屋。

誰も私を、その集団の武闘派とは思うまい。

EXILE TRIBEの面々が主演する、『HiGH&LOW』シリーズという映画がある。

その映画の世界では、日本と思しき国のとある地域はすっかり荒廃していて、スラム街が出来上がっている。そこにいくつかのチームがあり、抗争を繰り広げている。

私がその映画に出るなら、間違いなくスラム街に住む貧しい青年だ。

そんな青年が、EXILE TRIBEの面々と同じ衣装を着ていては不自然だろう。

不自然である、ということは「似合わない」ということだ。

つまり言ってしまえば、私がスキニーパンツを穿いたとして、完全にスキニーパンツに穿かれてしまう、服に着られてしまう事態になるに違いないのだった。


上記の言説を見て数年が経った。

今では私も立派な「アラサー」である。

スキニーパンツは、いわば「若い」格好である。

贅肉のつき始める年齢の私たちなどが気軽に扱えるアイテムでもない。

それに、「似合わないよなあ」と思って以来、べつに私も黒スキニーを穿きたくて仕方ないなんて思ってもいない。


とはいえ、時に夢想することぐらいはあった。

もしも自分がそういうのを穿けて、「WEAR」に載っているようなファッションをするようなタイプの人生を歩めるサイドの人間だったら――。

だがこれも、いつもの如く、仮にそうであったとしたら今の私が抱くような問いは抱きえないのだから意味がないと結論するしかない話である。

共学に通っていたら、兄弟がいたら、エトセトラ。

結局は、所詮、無意味だ。


私には、スキニーパンツは似合わない。

パーソナルカラーとか骨格診断とか、そんなものは差し置いて、マインドが合っていないから似合わない。

私のマインドは、「そっちサイド」には作られなかったみたいだ。


首筋に手を当てて、片足を宙に浮かせてスナップに撮られない。

同僚とは、極力距離を置こうとしてしまう。

それが、二十数年間で作り上げられた私という人間の「リアリズム」なのだ。


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