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エボラ出血熱に恐怖した小学校の放課後

小学生の頃、同級生がインフルエンザで休んだ。

担任の先生が「インフルエンザなので、しばらく学校に来れません」とその児童について触れ、私は出席停止の概念を知った。

学校から「休め!」と言われるなんて、どんなに幸いなことだろう!

もともと学校をサボり気味だった私は、出席停止の響きにすごく憧れた。

後ろめたさもなく、がんこちゃんを見れるなんて最高だ――私の頭にはそれしかなかった。


インフルエンザが出席停止なのは、感染力と毒性のそれなりに強い病だからである。実際、今年はアメリカで猛威をふるっているという情報もある。

しかし、呑気なことに私は「学校を休める」という思いのみに注目し、その病気の辛さなど、まったく想像していなかった。


その日、私は生徒手帳のようなものを熱心に読んだ。

学校感染症のページだったと思う。

そこには、いくつかの病気の名前が書いてあった。

これらにかかると、出席停止、と。


病気にかかっても死ぬことはない、と高をくくっていた。

だから、それらの感染症もどうせ大したことないと思っていた。

百日咳? 咳出るだけでしょ? みたいに。

そんなとき見つけた、エボラ出血熱という名前の衝撃は、今も忘れられない。


何しろそれは、名前からしてヤバそうだった。

よく分からない「弱そう」なポリオだの、ラッサ熱だの――それは、当時の私の知識不足による見解だが――より、なんというか「強そう」だった。

エボラの部分はよく分からない。だが、その名からして、おそらく罹患すると出血するのだ。

私は、身体にいくつも穴が空き、そこからぴゅーっと血を吹き出るさまを想像した。

いや、やべえじゃん。絶対死ぬじゃん! ――私はその名に恐怖し、やがてその病がアフリカで確認される「レア」な病だと知り、安心した。

数年後、実際にインフルエンザにかかった私は幾度も嘔吐しながら、まったく呑気な病でないと過去の発言を悔いることになるのだが、それはまた別の話である。


数年前、シエラレオネなど西アフリカでそのエボラ出血熱が猛威をふるった。

大流行のニュースを見たとき、私は無論、小学生の頃抱いた恐怖を思い出していた。

エボラ出血熱は、RPGのラスボスみたいなものじゃなく、実際的な驚異を運んでくるものとして感じられた。


新型コロナウイルスの流行のニュースを最初に目にしたとき、私はその頃のことを思い出した。

「ヤバいらしい」「感染症」ということから、連想に至ったのだろう。

それにしても、子供の頃に比べると、随分怖がりになったな、と思う。


子供の頃、幽霊が怖かった。

しかし、病気に対して具体的な恐怖を持つことはほとんどなかった。

ほかの人はどうだったのだろう?

普遍的なものなのか、私が少し変わっているのか。

ちょっと興味はあるけれどなんだかちょっと訊ねづらくて、この疑問はいまでもやっぱり謎のままだ。


なにはともあれ、早く事態が沈静化してくれることを祈るばかりである。


【今回の一曲】

SHISHAMO/行きたくない(2013年)




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