あのぐらいの寒さで
その週末は、その年の冬の寒さをいっぺんに詰め込んだみたいにやたらと冷えた。
雨は次第に牡丹雪へと変わり、地面に落ちた途端に溶けて、歩くたびに靴の中に入ってきた。
その週末は、そんな天気だった。
週明けのことである。
その日も週末の寒さを少し引きずりやや冷え込む朝となった。
私はいつもどおりに会社に出社し、いつものように仕事をしていた。
しばらくしてコーヒーを買おうと席を立った。
オフィスのカフェスペースにいくと、別の部署の先輩がいた。
彼女は「週末なにかしてました?」と訊ねてきた。
中国出身の彼女の、誰に対しても時折敬語調の言葉が入り込む、いつもどおりの話し方だった。
私は「いえ、特になにもしなかったですね」と返した。
すると彼女は「どうして?」と重ねて訊ねてきた。
このとき、何か会話の弾むようなイベントに興じていたとでも言っておけばよかったのかもしれない、と思わないでもない。
友人らと飲んだとか、スポーツ観戦に行ったとか。
しかし実際には、先輩に答えた通り、本当に「なにもしなかった」。
それは、その週末がひどく寒かったからに他ならなかった。
「寒かったから、特にどこかに出かける気にもなれなくて」と私は言った。
実際には、コンビニには出かけていたのだが、それを話したところで、それは彼女の求めているものではないように思えた。
「ああ、寒かった」と彼女も同意する旨のことを言った。
「心折れそうでしたよ、寒くて」と、私は「寒かった」という話を続けた。
すると彼女は「いや、あのぐらいで心折れないでください」と少し笑いながら言い、コーヒーメーカーが淹れたばかりのコーヒーを持って、カフェスペースから出ていった。
私は、なんだか急に梯子を外されるたみたいで釈然としない気持ちになりながら、コーヒーメーカーにカプセルをセットした。
ブーン……という機械音を聞きながら、しかし私は、あることにはたと気づいた。
そういえば、先輩は中国出身であった。
もしかしたら、島国出身の、それも太平洋側で過ごしてきた私と比べれば、彼女は大陸の厳しい気候に揉まれて生きてきたのかもしれない。
そうであれば、「あのぐらいで」と言うのも道理なのかもしれない。
――いや、本当にそうなのか? あの広い中国である。地方によって気候も違うだろう。彼女の出身はどこなのだろうか?
出来上がったコーヒーを持って自席に戻る際、先輩のデスクの脇を通りがかった。
先輩は「それ飲んで温まって」と声をかけてくれた。
せっかくの先輩の言葉も、その前の言葉とセットで考えると、途端にものすごく皮肉めいて聞こえた。
私は「ありがとうございまーす」と適当に応じて席に戻った。
席に戻ってからも、先輩の言葉を反芻していた。
あれは本当に「道理」で、と言えるような言葉だったのか。
あれは本当に皮肉だったのだろうか。
いや、そもそも「あのぐらいで心折れないでください」という言葉それ自体が、なによりも心を折にきているような……。
あの日感じた胸の閊えは、絶対にコーヒーの胸焼けではなかったはずだ。
【今回の一曲】
ユニコーン/雪が降る町(1992年)
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