カフェで迷えない
スターバックスなどの喫茶店チェーンにて、サイズ指定の独自のあの用語が言えないという話はよく聞く。
スモールじゃなくてショートなの? トール、グランデってなに?
オードリーの若林は、著書『社会人大学人見知り学部卒業見込』にて、自意識過剰ゆえに「「トール」と言うのがなんか恥ずかしい。「グランデ」なんて絶対言えないから頼んだことがない」と書いている。
私も、当初はショートやトールが言えなかった。
それらが言えるようになった今も、グランデには大きな壁を感じる。
しかしそれ以上に困った問題がある。
メニュー表を前にして、どれにしようかな、と迷うことができないのだ。
だからいつも、同じ商品ばかりをバカの一つ覚えみたいに頼んでしまう。
べつに、悩んでもいいはずなのだ。
後ろに列が続いているわけではない。
しかし、「えーっと」と悩んでいる姿を店員に見られることが恥ずかしくて、いつも決め打ちでメニューを言ってしまう。
「ロイヤルミルクティーで――」
「ストレートの紅茶を――」
口にするメニューもオーソドックスなものばかりで、間違っても、ハニーミルクラテとか、エスプレッソマキアートなんて頼めない。
そんな具合だから、スターバックスには足を運べない。
私はあそこを、フラペチーノを頼むための店と認識しているのだが、そのような「洒落た」メニューは頼める気がしない。
それに、種類が多すぎて、迷うこと必至であり、それは恥ずかしくて耐えられたものではないからだ。
また、そんなことばかり考えているから、どんどん足は運べなくなる。
私がタリーズやベローチェで迷わずに注文できる――迷っていないことを装うために決め打ちで注文する――のは、以前に恥を忍んで訪問したことがあり、どのようなメニューがあるのか頭に入っているからだ。
しかしスタバには足を運ばないのだから、メニュー表など頭に入っている道理がないのだ。
さすがにコーヒーや紅茶の類はあるだろうが、それがどのような名前で売られているのかもわからない。
もし万が一、「アイスコーヒー」みたいな明瞭な名前でなく、何らか「装飾された」名前であった場合、コーヒーをコーヒーと即座に視認できず、カウンターでオロオロしてしまうに違いない。
それに、店を外から眺める限りだが、スターバックスはいつも混んでいる。
店内はもちろん、カウンターにも長蛇の列ができている。
すると、私がもし注文時に迷った場合、その姿は店員のみならず、ほかの客にも見られてしまうことになる。
店員なら、まだ百歩譲って許せる。そういう顧客にも対応してきただろうし、表面上は笑顔で接してくれるから。
しかし、もしフラペチーノ目当てで並んでいる女子高生に、「あのおじさん、めっちゃ挙動不審じゃん」などと思われているのではないか、と思ってしまった途端、もう恐ろしくて仕方がないのだ。
かくいうわけで、私はカフェで「迷う」ことができない。
これもまたひとつの自意識過剰の顕れである。
時折見かける、「えーと、どれにしようかな」などと大声で独り言ちながら、じっくり時間をかけて選ぶ老人を見かけると、その大胆さに関心し、時に羨望の眼差しを向けてしまう。
ああ――その胆力の十分の一でも分けてくれたらいいのに、と。
「いい年」になった私だが、自意識との戦いはまだ当分終わりそうにない。
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