大人の持つ傘を買いたい、買えない
去年の12月、私にしては珍しく、朝から往訪があった。
その日は朝から冷たい雨が降っていた。
電車が遅延し、最寄り駅についたのはギリギリだった。訪問先に一緒に向かう女性社員は、改札を出たところで待っていた。傘がない、というので、私の傘に入れて走った。
去年の9月、「オードリーのオールナイトニッポン」で、春日が若林に誕生日プレゼントとして傘をあげていた。
LOFTの、ちょっとお値段のするちゃんとした傘を。
それを若林は「大人の持つ傘だ」と形容していた。
傘に入れてあげたくらいで、その女性との関係が何か進展しうると思うわけではない。
それに、その人とどうにかなりたいわけでもなかった。
けれど、こういうときに差し出す傘は、ビニール傘よりはちゃんとした「大人の持つ傘」であるほうがスーツ姿には似合うよな、とそのとき思った。
しかし、私はいまだにそういうちゃんとした傘を買っていない。
今でも玄関の傘立てには、ファミリーマートで買った、風に強いという触れ込みのビニール傘が刺さっている。
私はスーツのときも、私服通勤のときも、その傘を持って出かけている。
往訪を終えた私たちは、早めのランチを食べることにした。
いつもとは違う街、東京都港区はどのお店もオシャレそうに見えた。
その中でイタリアンの店に入った。セットメニューは少々値段が貼ったが、珍しく往訪も終えたし、と気を大きくして、それを注文した。
食べながら、彼女が行ったというイタリア旅行の話を聞いた。
出てきたズッキーニが美味しかった。
食事をしている内に、当初は私たちの他1組くらしか客のいなかった店も、外に行列ができるほどに混んできていた。
「出ようか」と、どちらからともなく言った。
会計を済ませ、駅に向かった。
彼女はその後また別の往訪があったので、そこで分かれた。
電車に乗り込み、適当なつり革に捕まった。
目の前の人が傘を持っているのが見えた。
そこで私は、店に傘を忘れたことに気がついた。
正直、傘に使うお金がないわけではない。
少しお金を出して長く使える傘が買えるならそれに越したことはない。
問題は、上述のように、私が頻繁に傘を忘れることだ。
「あれ? 傘がない」と思うことは、一年に一度や二度ではない。
傘立てに入れず、手元に置いていても存在を忘れることがある。
脚に当たれば思い出すが、そうでなければそのままさようならだ。
ちゃんとした傘は、その都度買い直すような価格帯のものではない。
しかし、都度また取りに戻ると考えると、それは憂鬱で仕方がない。
私は、上着を喫茶店の椅子の背もたれにかけて、そのまま忘れて帰ったことがあるぐらいには置き忘れが激しいのだ。
夏に羽織っていたシャツを静岡の海辺で脱ぎ、そのまま忘れて帰ったこともあった。気づいたときにはもう平塚だった。
だから私は、「大人の持つ傘」を買う踏ん切りがつかない。
いつまでも子供みたいにビニール傘を忘れて帰る人生も茶目っ気があるのかもしれない。
しかし私は、そうでない自分にもなりたいのだ。
だってもう、私はスーツを着る大人なのだから。
【今回の一曲】
King Gnu/傘(2019年)
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