マガジンのカバー画像

どついたるねん。

100
きっと仕事のためにはならないでしょうが、暇つぶしにはなるかと思います。そんな、エッセイです。(2019/10/1〜2021/5/23)
運営しているクリエイター

2020年9月の記事一覧

恋人の弟にラップバトルで惨敗した

恋人の家に行った。 実家暮らしである彼女の家に行くことはこれまでも幾度かあったが、その日の私の装いや心持ちは、いつもと違っていた。 何しろ、事業部長と一緒に客先に行く時みたいなちゃんとしたスーツを着てネクタイを締めていたし、足は怯えで震えそうだった。 何しろ、その日は結婚の挨拶のために来ていたからだった。 「娘さんを僕にください」 あのお決まりのやつを言う日だった。 インターフォンを押すと、彼女の母親がドアを開けて招いてくれた。 事情を知っている彼女は、私の姿と

シェアサイクルしたら大変な目に遭った

通っていた大学は駅から遠かったので、在学生の多くはバスを使うか、自転車に乗るかだった。 私も、1年生の時分は自転車で通学する身だったが、いつの間にかバス通学の列に並ぶようになっていった。 予想外に道の起伏が多くて疲れたとか、駐輪場有りと紹介された物件にそんなものはなかったとか、理由は色々あった。 だがなによりもの決定打は、決定打は、大学の駐輪場に夏休みの間置いていたら、雨風に曝されて錆びてしまったことだった。 そんなわけで自転車とおさらばした私は、卒業後に会社の近くに

非効率な夜の散歩をやめるには

夜、イヤフォンをつけて音楽とかラジオを聴きながら歩く。 以前はこれを、自己紹介にて「趣味」だと嘯いていた。 しかし実際には「趣味」と呼べるほど「明るい」ものではない。 というのも、それをするときは、嫌なことがあったり、嫌な気分になった日に、それを忘れたいがためにしていることがほとんどだからだ。 だからそれはむしろ、ストレス解消とか発散と呼ぶべきものなのだろう。 もちろん「ストレス解消法は、趣味の〇〇をすることです」という発話は十二分にありえるだろう。 しかしそれで

そもそも私は星野源ではない

私がエッセイに書くことは、いつも何かがうまく行かないとか、出来ないとか、失敗したとかいう話ばかりだ。 経費精算がうまく出来ないとか、従兄の子供相手に人見知りしたとか――。 なにかを演出したかったわけではないが、テーマやモチーフは、気づけばそのようなものばかりになっていた。 私は、世のなにかに物申したいわけではなかった。 反対に、中立を気取って何らかの社会問題を解説したいわけでもなかった。 また、自分を「強く」見せるための自慢話をしたいわけでもなかった。 だから、現

スイカ割りはとてもむずかしい

最後の花火に今年もなったな――。 フジファブリックの名曲「若者のすべて」のサビのフレーズである。 9月に入り、例年ならそんなことも言えたんだろうな、とふと思う。 今年の花火大会はどれもほとんど中止で、時々上がる花火はどれも、「勇気づけるため」の「サプライズ」だった。 だから、どれを見ても「最後の花火」みたいな「エモさ」はなかった。 そんなこんなでいきなり少しだけ涼しい夜が来て、すっかり秋だね、セプテンバーだね、なんて言ってみたのだった。 今年は、花火に限らず、夏の