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大学生、大地に立つ 19

まさかの復活

ここ一年、あまりnoteを書いていなかったんですよ。数えてみたところ、一年で記事が6本だけでした。それが何故かって話になると、一年前までは「大学生、大地に立つ」をシリーズとして書くぞと決めていたので、書く理由があったんですよね。それでエッセイを書くのを辞めたあと、途端に書く理由も気力も無くなってしまいまして、書くペースが死ぬほど落ちました。
どうしたもんかなぁと考えているうちに、気付いたら大学生になっておりましたので、復活してしまうか!という安易な考えで書き始めました。てなわけで、復活まさかの19本目と言うことで、今シーズンは23-24シーズンより更新頑張っていこうかなと思っております。

だがしかし書くことは無いので

さて、僕はこの春から大学生になりました。2部ですが、転部できる可能性もあるし、今のところ充実した4年間にできそうだなという期待をもてています。ふと、1年前に大学入学を辞退して就職した時の記事を見返してみました。まぁ偉そうに義務教育の大事さとか言って長ったらしく文章を書いていました。
ですが読み返してみて、一年経ってもやはり義務教育って本当に大事だったなと思いました。義務教育、と言うよりは、学校っていい場所だなと思っています。
さて、僕は実に2年のブランクを経て大学に合格したわけですが、今年は仕事が忙しすぎて勉強している暇がなく、全く勉強しないで挑みました。2部とはいえ、さすがに2年ブランクがありますから、今年はだめかなぁ、とか思いつつ、合格通知が来た時はひとまずほっとしました。
僕は私立文系で、社会科選択科目は政治・経済を選択しています。ここでひとまず一年前と同じような義務教育云々の話になるのですが、僕は中学時代に好きだった教科が公民でした。少し変わった人間かもしれませんが、そもそも自分はテレビっ子で、小さい頃から夕方のニュースとかも見てたタイプだったので、日常に直結することが授業で出てくる面白みが好きでした。なので勉強嫌いな僕も公民のテストだけは高得点が取りたくて、テスト前は結構ちゃんと復習とか暗記をしていました。
高校に入ってからの僕は、毎年取得単位が足りなくて留年しかける自堕落な学生でしたが、やっぱり政経の点数だけは学年でも上の方でした。実の所、高校の時はほとんど勉強なんてしてなかったし、授業も1日に7限まであるうちの7限分寝ているような奴でしたから、テストも勉強せずに挑んでいました。
じゃあなぜ政経だけはいい点数が取れたのかと言えば、中学時代に公民をしっかりやっといたからだろうなと思うところがあります。中学の時は県内の高校ならどこでも行ける(高専除く)くらいには一応勉強をやっていた僕なので、それが高等教育にも活きた気がしています。
最近よく母親と話すことなのですが、とりあえず学校は休むなと僕に言い続けていた母は本当に偉大だと思っています。何となくでも毎日学校に通っていたおかげで、もう10年以上付き合いの友達ができてるし、なんならその友人とは大学が一駅隣なので学校終わりに一杯やろうぜなんてできて最高です。と、話が逸れましたが、本当に義務教育9年間と高校3年間は自分の人生にとっては有益でしかない時間でした。自分の知見が広がった12年間だったし、楽しいことも辛いことも沢山あって、それを書くと長くなるので、ぜひ引用している記事を読んで頂きたいのですが、とにかく僕は、まともに教育を受けて学校に行っておいて良かったなと、まぁそんな話ですわ。
ゆたぼん高校落ちましたね。彼が学校に行き始めて高校受験を頑張ると言った時はちょっと応援しましたが、なんだか僕の書いたことが少しだけ正解だったかもしれないなと感じる結果になりました。

結局僕は恋愛をしたい訳じゃない

最近、彼女が欲しいという感情が大きくなりつつある今日この頃の僕ですが、考えれば考えるほど、自分には恋愛感情というものがないのだなと思います。以前から何となく書いているのですが、世の中にはアロマンティックというセクシャリティがありまして、以前は僕にも普通に恋愛感情があったのですが、所謂後天的なアロマンティックという部類になります。現在、世の中のスタンダードな幸せ、あるいは常識のようなものは、悲しきかな、恋愛をしたり、その延長線で結婚するというものです。ですが、僕には恋愛感情というものがないし、結婚願望はありますが、それはあくまで、将来一人でいることへの不安からくるもので、世間一般が考える結婚論とは乖離したものです。どうして僕がアロマンティックになったかと問われれば、それは恋愛に対するトラウマが大きくて、それを拭えないところにあります。何度も書いていますが、高校時代に大好きだった人が、僕と遊びに行った翌日に自殺して、思いを伝えられないまま、大好きなまま先立たれてしまい、失うのが怖くなりました。それから、いつの間にか僕からは恋愛感情というものが無くなり、異性に対しても同性に対しても一切の感情を抱かなくなりました。
これは余談ですが、それからというもの恋愛感情だけではなく、人への興味というものさえ薄れてしまい、最近は人の名前と顔が覚えられないことに少々悩んでいます。
そんなことはともかくとして、今の世の中では、LGBTQの価値観は尊重されるようになったとはいえ、受け入れ難い事象として存在しているのが事実です。僕はそれが嫌なわけではなく、人間誰しもマイノリティに対しては少なからず理解できないところや嫌悪を覚えるところがあるのはしょうがないことだと思います。ただ、どう思っていようがかまわないから、放っておいてくれと、僕は思ってしまうのです。

人生はつまらない

これを読んでいる皆さんの中にも、この世の中を生きるのがつまらないと感じている人がいるかもしれません。僕もその一人ではあるのですが、僕はそんな中でも面白いことを見つけるように努めています。まぁ、そんな簡単に面白いことなんて見つからないですが。まぁとにかく、毎日つまらなくても、僕の場合は趣味があるので、一定量の「面白い人生の供給」があります。大概毎日つまらないことしかないですが、仕事帰りに自分の推し球団の勝ち試合を見た時にはそれなりに面白く生きている実感が湧きます。
まぁ結局何が言いたいかって話になると、趣味を持つことは結構おすすめです。

置いて行かれた話

僕の毎年の大晦日の恒例行事といえば、地元のお寺の初詣のボランティアです。かれこれ5年はやっている気がするし、もっとやっている気もするし、そうでない気もします。そんな初詣ボランティアですが、役割の関係上、僕は檀家の中でも特に早くお寺に行く必要があります。仕事を開始するまでは、すでに到着している檀家さんと談笑したりするのが毎年の通例になっています。その数いる檀家さんの中でも、82歳の最古参の檀家さんに可愛がってもらっています。その檀家さんは市役所でかなり偉いポジションにいらしゃって、今でもとても市政に詳しいので、職場の関係で地元の市議会議員さんの後援会に入っている僕にとっては結構有益な情報を共有してくれる方です。
毎年必ず市政についてお話ししてくださるのですが、去年の大晦日に関しては今までよりかなり踏み込んだ話になりまして、そこにいた檀家さん全員が僕たちから距離を置くというなんとも奇妙な状況になりました。
当の僕はというと、まぁわかる話も多かったのですが、さすがに公務員ではないので「それは流石にわからん!」ということも多くこれまでの人生で人と話していて初めて「一人にしないでくれ!」と思いました。
どうでもいいですね。

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