短編小説「生きてる」

  自分の愚か過ぎる価値観に気づいたのは、余りにも遅く、しかしまだ十分過ぎるほどに挽回出来るのもまた事実だった。これもまた言い訳になるのだろうと思うが、人間一度形成され切ってしまった自我が価値観を大きく変えるのは無謀な挑戦だと思う。
 
 明日から頑張るぞ、今日から頑張るぞ、も全く同じでこれを心に固く誓う人間の半数は結局の所、一時的に自分を鼓舞し安心を得たいという現実逃避なのだと思う。俺も当然、これに当てはまる人間であって決定的に日々を激変させるであろうチャンスを待ち続け、惰性的な生き方を選択しているゾンビに間違いなかった。

 そう、俺はゾンビで。決定的な何かを待ち、薄汚れた日々に映画の様なワンシーンが射し込むのただ切望していたのだ。

 うだる様な暑さが開け放たれたアパートの一室の小さな窓から、この世の終わりを告げる様に部屋の全てを蝕んでいた。電気代の節約の為と、心頭滅却すればウンタラカンタラの精神を心に高く掲げながら俺は、レトロ感溢れる丸いちゃぶ台の前に正座してただ時間が過ぎ去るのをどうしようもなく待っていた。


 バタタッ・・・

 不意に大きな物音立てながら、本棚に収まりきらず縦積みにしてあった雑誌が雪崩のように散らばった。ああ懐かしいな、こんな本買っていたんだなぁと思いながら、様々な表紙やタイトルに目を通していると、妙な違和感を覚えて、手を伸ばし一冊の本を掬い上げていた。「私と世界の生き方」と書いたタイトルに、淡いタッチで描かれた地球儀がポツンと浮いた表紙であった。

 こんな本買った覚えが…、と身に覚えの無いその一切を拾い上げ、ペラペラとページをめくり始めた。それは極々自然的な行為であり、何かを期待する訳でも無くただ反射としか形容の出来ない事だった。それなのに、ただの偶然なのだろうか、ある一文が書かれたページに手が止まり。俺は、息をする事も忘れた様にその言葉に目が奪われて、指を文字に這わして身体が震えるのを感じた。  

「私、待ってます。春夏秋冬、幾つもの日々よ。崩れゆく重みの中で、貴方の横顔の感触を。だから、私、待ってるんです。」

 意味も、分からず。勿論、その話の前後の文脈を理解した訳でも無いのに、この言葉に触れた瞬間俺は自分の日々を呪った。与えらたにも関わらずに、何もせずに、1人孤独の病を縛りにして待ち続ける自分の生の歪みの悔しさに。
俺はその本をただ閉じて、崩れ去った雑誌の山を元に戻しながら、その本もまた同じ様に隠してしまった。それでもって、劇的古典的にちゃぶ台をウワーッと叫びながら、ひっくり返して、自分の足を二度三度殴ってから、玄関のドアノブを乱雑に回して、外に飛び出しアスファルトの上を駆け回っていた、人の眼など気にしていられるか、俺は今確実に俺なんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?