【小説】『薬袋美鈴の救済』 ※打ち切り供養

 『薬袋美鈴の救済』

1

 夜が好きだった。静寂に包まれていれば多少なり、心の安定を保てた。昼下がりの雑踏、人々のひしめき合う声、その音が私に取っては耐え難い苦痛であったのだ。だから夜が好きだった。人々が寝床に着いて夢を見る深夜だけが、私の騒ついた精神を癒してくれる安定剤なんだと言える。

 深夜徘徊、私が出会ったのは最低最悪で最高の人生を変える存在"三鷹未來"という少女。10歳も歳下の彼女は初対面の私に対して「貴女は同化する運命を信じる?」と尋ねた。蟲のさざめきのみが耳を刺す筈だった深夜の公園で、彼女の艶やかで神秘的な声が私の脳髄を完璧に捉えってしまったのである。常々私はこう考えていた。いつか誰かが私の人生を変えてくれるだろうと。ちっぽけな暮らしと繰り返し吐き捨てる様な毎日。そこに確かな終止符を打ってくれる存在が到来するのだと信じていた。私、薬袋美鈴の意味の見いだせない生に答えをくれるに決まっているんだと…。

 21歳の夏。高校を卒業してからの私は定職にも就かずブラブラとそのひぐらしの生活を続けた。一人暮らしのアパートと親からの仕送り、偶のバイト。別段生きていくには困らないルーティンだ。いつからだろうか、物心がついた頃から既にそうだったのだろうか。それとも産まれた時、細胞にその烙印が記されたのか。集団、人々の群れ、連帯感、様々な集合意識に対して苦手意識を持ち続けていた。勿論この事から分かるだろうがコミュニケーション能力を著しく欠いているのは否定出来ない。しかしながら全くの下手っぴという訳では無いのもまた事実だ。最低最小限のやり取りは可能だし、学生生活も友人は作れなかったが虐められたりする事なく、性格なりには器用に生きたつもりだ。そもそもこれぐらい出来ねばバイトも無理だろうし。まあそれでもバイトをする時は人の少ない深夜帯の仕事をターゲットにするのだけれども。

 だけど、いつまでこの生活を続けて良いのかと焦燥感に駆られる実情。私にとって結婚なんて、思案もしたくも無い事象だし、子育てなんて動画投稿サイトで他人の子供の可愛い切り抜きを視聴するだけで十分だ。だったらどうするのだ。自分の中に内在する孤独と向き合い、その怪物と無理人中するまでの人生を謳歌する他ないのか。考えれば考える程に無気力で堕落的な思考の迷路に嵌り始める。そして人々の鳴らすその雑踏に嫌気と自己嫌悪を感じてしまうのであった。だからこの日も、私は生活の一部になった深夜徘徊に耽る。21歳の夏、夜、蒸し暑い吐き気だ。

 部屋のドアノブをゆっくりと回し、慎重にドアを閉めて鍵をかける。その後右にくるりと進行方向を定め、アパートの階段をそろりそろりと降りる。時刻は0時を指す日の変わり目。私が自宅から何故こうも盗人みたいに出掛けるのかと言うと、まあ隣人トラブルを避ける為に他ならない。特に私の右から3番目の部屋に住む老婆、丁度今降りている階段の側に住む人なのだが中々の曲者だ。というか私はかなり嫌われている、何もしていないのに。社交的で真面目な人物を好む彼女は、不真面目な若者を忌み嫌っているらしい。私は正に嫌われる良い対象例だ。1度目をつけられると小さな音でも騒がしいと難癖をつけてクレームの嵐に苛まれる。何故私が気を遣わねばならないのかと辟易するが、触らぬ神に祟りなしという言葉もある事だし耐え忍ぶのが吉だ。

 息を殺して階下に着いた私は、心労冷めやらぬ内にグーっと背伸びをする。口から大きな溜息、しかし無音でだ。一歩ずつ軽やかにその足取りを夜の街に溶け込ませていく。都会ではこうはいかないだろうが、ある程度田舎の閑散とした地域では皆々が夢の中だ。自分の足元から聴こえる地面を踏み締めるその音色に安心感を覚えつつ考えに耽る。人生とはガムなのかチューイングガムなのか、やがて味は無くなり姿形は変わり果てるが固形物としてその名残を示すのだろうか、それとも味も形も消え去りかつてそこに何かがあったと言う事すら誰も覚えていなくなるものなのか。耳に聴こえるのは自分の足音だけ。

 目的地も無く、ただ歩き続ける。一種の無意識的な覚醒状態にある夢遊病みたいなもんだ。感情を持たないロボットじみたひとりぼっちの行軍。深夜に一人で出歩くのは危険な行為だ。頭のおかしい暴漢にでも遭遇すればか弱い乙女である自分は即終了、そのまま下り坂を転がりぶつかって粉々に成るのが目に見えている。でも、何故かこの行為は自分の内在から現れる破滅的な衝動行為では無く、救いを求める神秘的な方程式に思えてならない。そう儀式みたいなものか、確証は無いが、自分の元に天使が顕現する予兆がコップいっぱいに溢れかえる水と同等に考えられるのだから。

 はたと気づく。歌が聴こえる。自分以外から発せられる人間の音だ。か細く遠くから聴こえるそれは決して、蟲のさざめきなんかじゃない。これは鼻歌、前に進めば進む程に確かに聴こえ始める。この事実の衝撃性よりも運命的な物を信じたい衝動に駆られ、一心不乱に音の出どころを探ろうと躍起になる。シルエットが前方に、鼻歌の正体はドビュッシーの『月の光』に違い無い。可愛らしくあどけないその音色は、草木生い茂る公園の一角にて月に照らされる歳の頃は10歳ぐらいに見える少女からのものであった。現在時刻は0時半、深夜の暗闇とは不釣り合いな少女がそこに立ち唄い続ける。私に気づいたのかこちらをチラリと一瞥してから一言だけ。

『貴女は同化する運命を信じる?』



 2

 その後、彼女は自分の名を"三鷹未來"と名乗り、私も薬袋美鈴だと名乗った。彼女は私の訪問に動揺する素振り一つ見せずに会話を続ける。それも一方的な対話、もしかしたらこれは会話なんてものじゃないのかもしれない。特殊なコミュニケーション、彼女なりの歩み寄り。

「ある男女の集団が居たの。多分、4…5人ぐらいかな。その人達は皆んな同じ動きでシンクロしてるの。左に揺れたり右に揺れたり、時折脚を動かしてダンスの真似事をしたりしてね。片手には瓶に詰まったアルコール。突如、1人の男がその瓶を振り上げて、1人の女の頭を力一杯殴りつける。激しい音を張り上げて瓶の欠片がキラキラと散る。女も負けじと男の頭を瓶で殴りつける。2人の頭部からは赤い血飛沫がダラダラと溢れては、頬を伝い地面に赤黒い染みを残す。やがて周囲の連中、残りの面々は最初から居なかったみたいに消えた。2人の人間だけが、楽しげにリズムを刻み込む様にお互いの身体を傷つけ合う姿だけが存在する。そうして息の上がる生命はエンジンを停止する方法を忘れ、過熱した塊になって2人全速力で走り出すの。足の骨が砕けて中身が飛び出して、脂肪の液体が発する蒸気に咽せるまで。これを続けると片方が心臓麻痺を起こして、その場に倒れ込む。もう物体に変わりない、かつての面影は感じ取れない。でももう片方は決して止まりはしない。全速力で走り抜けて、海に飛び込む。とびっきり冷えた深海を求めて、水泡が一つ残らず消えるまで」

 彼女はそうして彼女の言葉を吐き続けた。私は一度でもこの様な感覚を人生で得た事は無かった。この瞬間、生まれて初めて、産まれたと感じた。赤児の鳴く声が聞こえて、母親の笑みが眩い光と共に世界に去来した有史以前の誕生。完璧で無垢で白んだ景色が見せる嘘みたいな幻。私、薬袋美鈴はこうして世界に産まれた。自分は零れ落ちた絵の具だと信じていたのに、落ちた先は本当に真っ白で正しいキャンバスの上だったんだ。

 「私は貴女と出会いたかったのかも。同じ事の繰り返しに意味があると今は肯定出来る気がするもの」

 「それは違うよ、美鈴ちゃん。貴女はいつだって自分を肯定する事が出来たし、何ならいつでもそうして来た筈よ。じゃなければ此処に来なかった。そうでしょ?」

 彼女はそう言うと私に手を伸ばし、友情の握手を求めた。私の頭より遥か下に見える彼女の姿。しかし、見下ろされているの私自身だろう。嫌な気など一切しない不可思議な感覚。彼女の眼は非常に虚であり、生気を全くと言って良いほど感じさせない。ただ人間の姿をした別の何かであるという雰囲気のみをそこに漂わせる。

「貴女は一体、何者なの?正直な所、普通の子供というか…人間ですら無い気がしてならないのだけど」

「私が何者かなんて事、美鈴ちゃんは本当に聞きたいの?その答えを知るという行為に、筋の通った意味があると確信出来ているの?自分が何を求めているかにすら気付かない美鈴ちゃんに理知的な状況分析が可能だと本気で思っているの?」

 彼女はそう言ってのけると色褪せたベンチの上にピョンと飛び乗った。何故か私の脳内には、隔たり、断絶、隔絶、という単語が無意識的に並び立った様に感じた。確かに、彼女の言う通りだ。彼女が三鷹未来と名乗る少女である事以外、私にとって全くもって必要性の無い情報である事は明白である。私の考えを軽く見据えた彼女は、無邪気で無作為な悪意に似た表情を浮かべ、夜の暗闇とは対照的な瞳をこちらに傾ける。

「美鈴ちゃん。私はね、貴女に頼みがあるの。これはきっと、多分、偶然や運命といった抽象的な概念とは違う世界の定理に似た物である事は分かって欲しいのよ」

 直後、彼女はベンチから飛び降りて無音の着地を披露した。そしてどこから取り出したのか水が入った透明なガラスのコップを私に向かって差し向けたのだ。小さな器の中で渦めく波紋がやけに大きく壮大に見える。

「これは……ただの水?」

「そんな訳ないでしょ、美鈴ちゃん。貴女は人生がちっぽけで無価値な代物だと信じきっている。でも、それでも自分に何か特別な事が齎せられるのではないかって淡い夢物語も同時に期待してる。馬鹿らしいわよね、みんなそうなのにさ。そこで、私は美鈴ちゃん。貴女に与えるのよ。待ち望んでいた祝福の到来を鐘を引導を全て叶えてあげる。救世主になるのよ、わかる?」

 ぼうっと輝く彼女の瞳孔がカッと開く。その瞬間有史以来人類が怯えた深淵の恐怖が私の心臓捉えたのだと、本能的に理解してしまった…。ふと気づくとコップの水が渦を巻く様に旋回し始めている。そしてその中心に背びれの様な物が見てとれた。よくよく注視して漸くそれが1匹の小さなサメである事を認識した。

「サメだ…小さなサメが泳いでいる。これは一体なんなの…そもそも私が救世主になるって…」

「飲んで、美鈴ちゃん」

 彼女、三鷹未来は徐に手に持ったコップを私の口元に近づける。ギョッとする私の意識とは裏腹に肉体はコントロールを失ったかの如く、閉じていた筈の唇同士の繋がりをごく自然に開けていた。斜めになったコップから畝りが重力に従い、落ちる。私はそれを自分事とは思えない心情で見つめる他無かったのだ。これが現実か夢なのか、タチの悪い冗談なのか。とびきり悪趣味で手の込んだドッキリなのか、もう何も分からない。


 3

 次に目が覚めた時、死ぬ程爽快な気分だった。笑えるぐらいに、というか笑っていた。無意識にクツクツと自分でも知らない笑い方を演じていた。徐々に意識が覚醒に近づくに連れて、生臭く鉄のエグ味が鼻腔を激しく突く。そして眼前に広がる景色に唖然とした。血の海だ。真っ赤で、ペンキをひっくり返したみたいな血の海。高揚感は一気に地の底に落ちる。宝くじに当たったと思ったら、いきなり車に跳ねられた気分。彼女は…三鷹未来は…。

「美鈴ちゃん、初めてにしては派手にやるね。これは予想以上ってとこね」

 声のする方に目をやるとタンスの上に彼女は腰を据えて座り込んでいる。タンス…何で公園にタンスが…と疑問を抱く寸前で此処が室内である事に気づいた。そしてこの部屋が誰の物であるのかは、床に視線を向けた途端に嫌でも気付かされた。そこには私に対して散々鬱陶しい態度を向けて来たあの老婆の生首がごろりと転がっているではないか。吐き気を抑えようと口元を手で押さえた時に、口内に違和感を感じた。舌で歯を確かめる、多すぎる、気持ち悪いぐらい口の中いっぱいにビッシリの鋭い何かがある。頬に手を触れる、顎の付け根一杯までにハッキリと口が裂けている。

「美鈴ちゃんはサメになったのよ、それもとびきり凶暴なサメにね」

「だ…っだだ…だんでごんなごとを…おぁぅうぇあっっッッ…」

 嗚咽する私を他所に彼女は高らかに笑う。私は人殺しになった、しかも怪物に変貌して人を殺したんだ。悪魔に唆されて、禁断の実を齧った愚か者に成り果てたんだ。強烈な後悔と自己嫌悪に気が狂いそうになる私を見かねてか、彼女が声をかけてくる。

「心配しなくても、この婆さん悪人よ。知ってる?この人、自分の息子が稼いだ金を奪ってギャンブルに入れ込んでたのよ。それで縁を切られた。で、その息子さんが結婚して子供が産まれたのだけど、この婆さんね。自分の孫を誘拐したのよ、息子夫婦に改心したから、孫に合わせて欲しいと巧みに近づいてね。孫の命が惜しければ100万寄越せーって。馬鹿馬鹿しい話よね、本当に。それで金をゲットしたんだけど、息子夫婦は完全に音信不通になった。警察沙汰にしなかった理由は私にも分からないけどね。まあ何せ、美鈴ちゃんが食い殺したのはそんな人間なの、どう少しは慰めにはなったかしら?」

 血肉が歯の至る所にこびり付いているのを気にしながらも、彼女の話に耳を傾けていた。自分でも不思議だが、殺した人間の素性を聞いただけで少しだけ気が楽になった気がした。それでも最悪な事に変わりは無いのだが。

「でも、殺す程の事じゃなかったんじゃないの?殺したのは私だけどさ…」

 吐き気の治まりを体感しながらも、周囲を改めて見渡す。床に老婆の生首が恐怖の顔を張り付かせて硬直しており、壁の四方八方にバラバラにはじけた四肢の断片が張り付いている。相当な殺し方をしたらしい、記憶が曖昧で本当に自分の凶行なのか疑ってしまうが、血の味を感じる時点で犯人は私でしかない。…あれ?良く考えなくても、人肉を食べている?吐き気がプレイバックする。

「そう。そこが大事、凄く大事な話なんだよね。私にはね、未来が見える。でもそれは条件有りの限定的な物で、全てを見通せる全知とは程遠い。まあそれはさて置きこの老婆、3日後に人を殺す筈だったのよ。息子夫婦の居場所を突き止めてたらしくてね、家の近くに張り付いて家族が買い物の為に連れ立って家を出た途端、車で突撃して轢死させる目論みだった。でもその歴史を美鈴ちゃんが食い殺した。正に救世主ね…ってまたゲロってるの?ちょっと?」

 彼女の言葉が脳に届く前に、喉の奥から胃液と共に肉片がぼたぼたと床にこぼれ落ちた。本当に私、人間を食べたんだ…という冷静で客観的思考をもたげながらも、この行為の不道徳さを受け入れない自分の人間らしい感情に少しばかりの安堵を覚える。

「美鈴ちゃん、心配しなくても病気とかにはならないから平気よ。食人行為の最も注意すべき点は肉体への悪影響だものね。まあ今の貴女の身体ならボウルいっぱいの脳味噌を食べても、クールー病になる心配が0%よ。だってもう普通の人間じゃないからね」

 藁にもすがる希望とは裏腹に、徹底的完膚なきまでに人間である事を否定される。もう何だかランナーズハイな気分になりつつある。これが現実なのかタチの悪い妄想によって頭がイカれたのかもうどーでもいいかも。取り敢えず、眠りたい。

『無垢なる思考、透明なる思考』
 
 突然、奇妙な声が部屋中に響き渡る。無機質で機械的なその声は、生きた人間物では無いのは本能的に理解出来た。未来の方に顔をやると、先程からの余裕ある笑みは一切消え、苦虫を踏み潰した顔へと変貌している。そして、私は気付く。空間の一片が正方形に切り取られており、ぽっかりと空いた内部から昆虫の足の様な物が足が突き出している事に。しかもかなり巨大なサイズの足で視認できるだけで2m近くあるだろうか。次から次へと答えの解を貰えぬまま、問題を出され続けている悪夢だ。

「ちょっと早すぎるじゃない…美鈴ちゃん、ごめん。もう少しチュートリアル的な鍛え方をしてもらうつもりだったのだけれど、そうはいかないらしいね」

「ちょっと、本当に色々状況が飲み込めなさすぎるよ!あれは何!?」

「"不遜なる大地"の連中よ…美鈴ちゃん!飛んで!!」

 未来の声が聴こえると同時に、空間から飛び出していた足がグッと私の方へと伸びてくる。殆ど無意識飛び上がり、天井へガツンと頭をぶつける。我ながらとんでもない脚力を得たしまったと感心するのも束の間、先ほどまで立ち尽くしていたフローリングは抉り取られる様にひしゃげていた。このレベルの衝撃が直撃していれば、この身体でも間違いなくタダでは済まないだろう。空間から伸びた脚は再び元の位置へと戻り、ゆらゆらと前後運動を繰り返す。細く長いその不気味さはナナフシの様な異質さを彷彿とさせる。こちらの様子を伺っているのか、連続して攻撃を仕掛けてくるつもりは無さそうだ。

「ちょっと未来!私、どうすれば良いのよ!」

「取り敢えずあの脚に噛みついてやって!今の美鈴ちゃんの歯ならガブっと一撃かませるはずだから!まあ気持ち悪いの勘弁してっ!後で色々説明してあげるからっ」

 空中に浮遊した状態から重力に身を委ねた前傾姿勢へと体勢を整える。そうして頭からの落下で気味の悪い脚に向かって顎をパカーッと開く。このまま喰い千切ってやる、この際どうにでもなれだ。と、意気込んだは良い物の、奴の脚とは別に細長いキラキラと輝く金色の糸のような物が視界を掠めた。明らかなヤバさを感じても、自由落下真っ只中の身体はどうする事も出来ない。

『何もまた同じ、運動、サイクル、初期微動、偶然の産物に過ぎない』

「あーもう!!!うるさいってえのよぉっっ!!!」

 全力の雄叫びと共に口をさっきよりも大きく口をかっぴらく。だが予想した通り最悪の事態だ。金色の糸は突然ピンッと空間で固定されて、柔らかな糸から超合金のワイヤーにでもなったかのようだ。落下する私、頬は既に十分な程に裂けているというのにそれ以上に裂けてしまうのは目に見えている。下顎からだらーんっと舌を投げ出して絶命する死に様なんて間抜けすぎやしないか?何も分からないまま現実か夢かも分からないまま、荒唐無稽な死を体験するのか?きっと天国だろうが地獄だろうが、そういうものが有ろうが無かろうが、こんな馬鹿げた話を誰が信じるというのか。

「美鈴ちゃん、気をしっかり持って!私、貴女をこんな死に方にさせる為に力を与えた訳じゃないのよ!!!美鈴ちゃんに見えているソレは本当にそこ見えて存在している物なの!?」

 本当に見えている物?彼女の言葉によって生み出された小さな疑念。それはそこに本当に在るのか?その思考を認識した瞬間、微かな揺らぎがその糸から感じ取れた。そうだ、こんな物最初から存在しない、私の目の前に在るのは噛み砕く捕食対象だけだ。私の考えが確信に至った途端、糸が複数にブレて霧散した。気持ち良い破裂音が聴こえる。私の歯が肉に深く沈み込み裂傷を与える音だ。血飛沫が飛び散る、それは人間の血の色とは程遠い黄と青の混じったまだら模様の色彩。前衛的な血溜まりには引きちぎれた脚が静かに転がっている。脚が飛び出していた空間はもう部屋の中から消え失せていた。急激な疲労感と脱力感に襲われて尻餅を付く、それと同時にカラフルな血が跳ねた。それを何となく、目で追っていた。

 打ち切り





 

 

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