(思い出)酸っぱいグミと、ベッドにいる人

医療系の資格を取るために大学に在籍していた時、私は身体障害者のリハビリ施設に実習に行きました。

私が受け持ったケンタさんは、当時19歳の私より少し上、20代前半だったかと思います。手足の麻痺で入所していました。ケンタさんと話すこと、たまに出るよだれを拭うこと。それが私の初日の実習内容でした。
若かった私はケンタさんの口元のよだれを拭いながら「思っていた実習と違うなあ、もっと病気の治療について勉強したいだけなのに。ただ利用者さんのお茶汲みと、よだれを拭くだけだ。大学にクレームを入れようかな」と考えていました。
とはいえ数週間の実習なので、文句も言わず淡々と日々を過ごしました。
ケンタさんとは、好きなお菓子の話をしました。最初こそ不満を抱いていた私ですが、少し慣れてケンタさんとのお話の時間が楽しくなってきた頃でした。
「〇〇グミ    って知ってる?    このグミがね、   美味しいんだ   よく食べるよ    」
ケンタさんは息を継ぎ継ぎ、やっと聞き取れる声で教えてくれました。私自身はなんと返したか記憶がないのですが、ケンタさんのその声は何故か記憶にずっと残りました。今も。

その後も意外に難しいリハビリ体操を利用者さんと取り組んだり、お茶汲みをしたりと日々を過ごしました。意外にやりがいも見出せてきたので、大学にクレームを、なんて考えは忘れ去っていました。

数日間あった実習の、最後から2日目。実習の指導者となっている施設の方とミーティングを行なっている時、ケンタさんの話になりました。そこで、ケンタさんの病状は進行性で呼吸機能も徐々に衰えていく事、私が想像するより遥かに過酷な状況で戦っている状況を知らされたのでした。やんわりとですが、余命の話も。
そして最後に穏やかに私にこう告げました。
「あなたとの雑談に見える会話が、あの人の呼吸を助けているんです。だから、たくさん話してあげて」
私は帰りの電車で後悔して泣きました。若くて愚かだった私は、ケンタさんの身体だってちょっと人並みに動かないだけで自分と同じようなものと思い込んでいたのです。他人を思いやれない、何も知らない自分を恥じて、ただただ涙を流す事で消化するしかありませんでした。今でこそ様々な状況の方と向き合い続け、それを受け入れる心が少しばかり広くなりましたが、これが私の人生で初めての体験だったのでした。

ケンタさんがグミを楽しむことも、口周りの筋肉を鍛える重要なトレーニングの一つだったのかもしれません。誤嚥のリスクを抱えながらも、その味を楽しみ、生きる糧にしていたのでしょう。
よく考えれば体操のお付き合いは生活習慣を見直す指導に役立つものでした。お茶汲みは、それぞれの腎機能に合わせて水分摂取の対応が違う物なのだと私に教え込ませるためのものでした。ちっとも的外れな実習ではなかったのです。
あれから、色々なことに打ちのめされ、たくさん涙を流しましたが、数年後になんとか目指す資格を取ることができました。関わっていただいた皆さん全てのおかげだと思っています。

そんな、初めての校外実習の後。どこかのタイミングでケンタさんが好きなグミを食べてみました。すると、ものすごく酸っぱいグミでした。こんなのケンタさんが食べたらむせてしまうのでは?
似たような名前のグミが多くて、間違えたのでしょうか。若くて愚かで、すぐ先走ってしまっていた私には商品名が上手く聞き取れなくて。
こんなに酸っぱいグミであっていたんでしたっけ、ケンタさん?機会があれば、また教えて欲しいです。

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