大学に行った意味。

またしても人間同士の殺し合いが始まった。

ツイッターで検索すればいくらでも情報を得ることができるけれど、その分人の命が一つまた一つと消えている現実を受け止めなければならない。

今こうして文字を打っている間にも戦いが起きていると考えると、ここはとんでもない世界だなと思ってしまう。

ところで、今回の争いはそう簡単に正義とか悪なんてものを判断出来るものではないと思っていて、そもそもお互いに譲れない正義があるかもしれないわけで、それに事の発端も歴史も複雑で自分の中で整理するだけでも相当な労力を要するはずであり、個人レベルの見方としては絶対にどっちが悪いとは結論付けられないものである。

唯一「悪い」と言うならば、多くの人の命をいとも簡単に奪っていることであろうか。当事者の憎悪や怒りの感情は体験できないといえど、理不尽に命が奪い取られることがあっていいわけがない。

大学に行った意味。というタイトルについてちょっとだけ。

大学になぜ行くのかなんて明確な理由があったわけではなく、就きたい職業とかキャリアとかについてもそんなに興味を持てず、卒業した結果としてあるのは奨学金という負債と末端価格(最低賃金の意)での非正規雇用だけ。

今の社会でそれなりに生きてきた人からは勿体無いと言われるだろうし、実際言われたことはあるわけだけど、こういう時には大学に行った意味があったなと言える気がする。

というのも、学部卒とはいえ一応専門的な勉強をしたわけで、それも国際関係を学んでいたから、こういう争いには目を向けざるを得ない。むしろ、学部生の時に起きたこと(例えばミャンマーでのクーデターとか)より、今回の争いの方が熱量があるような気がして、自分の勉強不足を実感する一方で、複雑なものを整理することへのハードルは少しだけ低くなっているような感じがする。

歴史的な背景とか調べるだけで膨大な量があって、それをゼロからやるとなると億劫になるけど、論文を読んだり一次資料に当たったりしていた経験があるだけで少なくとも調べることに対して肩の力を抜けると思う。

知識量としては大したことないし、社会的な成功なんてのも程遠いところにあるけれど、大学に行って学んだから目を向けれることもあるわけで、無関心のまま日々を送らないよう関心を持つきっかけになっているだけでも大学に行った意味があると言える。

人間が殺し合っている最中だけど、出来ることなんて何もないからこそ、今の時代で大学に行った意味について考えた。意味付けとしてはちっぽけなものだが、自分の人生の一部に意味を見出せたのは小さくも大きな一歩だと胸を張って言おう。

今回の争いを含め、世界で起きている命の奪い合いが終わりますように。そして、第三次世界大戦へと進んでいきませんように。


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