「おとうちゃん」③
父は、母と結婚できないのであれば店を継がずに出て行くと言い、半ばかけ落ち状態で母と結婚したらしい。店を拡大した時、家を建てた時、愛犬の家を作ってあげた時、父のこだわりがあちこちに散りばめられていた。そう、何にでも自分の想いを込めていたんだと思う。
それは、「これって必要?」と疑問に思うことや「お金かかるから辞めておこう」と思考で気持ちを黙らせてしまうようなことばかりだった。
例えば…
この超ど田舎で、店の横に隣接させている宴会場、これを拡大したときには、駐車場から玄関までの道に石を敷き詰め脇には竹を植え、ライトアップ。加えて、飛び石や竹から水が流れ出る水場をセッティング。大通りから見える店の土手には、植木で店名を形どってアピール。「これで、運転してる人にも見えっぺ」と鼻高々。台風が近づいてくると、この土手には大きなブルーシートを掛けて、植木と土手を保護。宴会場には、約70インチのテレビとレーザーディスクのカラオケを備え付けた。
父が魚をさばく場所には、水道が3つあった。一つは、刺身を切る専用の場所、もう一つは、例えば大きいマグロやカツオを切ったり、カレイを切ったりする場所に備えられている普通の水道、そして三つ目は、ハンドルなし&温水のみが出る水道だった。この三つ目の水道は父が考えたらしく、水が通る長いノズルの部分をおじぎさせるとぬるま湯が出る仕組みなっていた。今では、よくトイレなどの洗面所でセンサーに反応して水が出る水道をよく見掛けるけれど、当時のしかもこのど田舎の魚屋の水場に、しかも[ぬるま湯]が出る水道をセットした父。しかもしかも、その温度は手動で父好みの温度に調整可能だった。これをセットした理由は、冷凍されている魚を効率よく解凍するため、ノズルを上下に動かすだけで水が出るため手が汚れていても効率よく作業が進められるためとプロ意識を押し出してきていたが、このほかにも寒い冬に自分の手をぬるま湯で洗いたいからという理由もあったらしい。
水場繋がりで思い出した。我が家の風呂場は超広い。大きな出窓つきで、洗い場が広く、天井も高い。このど田舎で寒い地域なのにこんなに広い風呂場…、そう、非常に寒い。極寒も極寒。そこで父は考えていた。風呂場のタイルの下に水道を張り巡らせて、そこを熱いお湯を通す。すると、タイルが温まり[床暖]になり、そのお湯を湯ぶねに流れ入れれば一石二鳥だと。確かに床は温かく、泊まりに来た従兄弟は、珍しい上に面白いと体中を泡だらけにしてタイルに寝そべり、壁を蹴ってスル〜っと全裸で滑る遊びを楽しんでいた。
家つながりで思い出した。我が家はトイレが三つある。一階には、父のこだわりで男女別にトイレが2つあるからだ。そして、エアコンは埋め込み式。
そうだ、運動会ではホームビデオで子どもを撮影していたのは父と電気屋のおじさんだけだった。母曰く、父がどうしても欲しいと言って借金してまで購入したらしい。当時のカメラの大きさは、テレビ局で使われているような…肩の上にかつぐタイプの物でそれはそれは大きくて重い存在感もデカイやつだった。
そうだそうだ、愛犬の家を作ったときも私たちの想像を遥かに超えてきた。店の駐車場は広い。土地が広いのは田舎の特権かもしれない。敷地内にある電中と、業務用冷蔵庫や氷冷機がある倉庫の屋根をワイヤーで繋いだ。何に使ったかと言うと、自由に動けるようにとそこに愛犬のリードをつないだ。何十メートルあったか…。愛犬が右へ左へ動くと、シャーーーっとワイヤーが鳴り響いた。犬小屋もそれはそれは大きかった。12畳くらいあったか…。半分は屋根付きで、雪や雨がしのげるようになっていた。
何度も言うが、30年以上前で超ど田舎の普通の家に、床暖のデッカイ風呂場、男女別のトイレ、埋め込み式のエアコン…ビデオカメラに飛び石付きの宴会場、土手には店名の植木。超広い犬小屋。「それって必要?」「お金かかるし、管理するのも大変じゃん」と言いたくなることばかり。
けれど、父はいつも「やりたいこと」「やってみたいこと」「カッコイイと思うこと」など自分の気持ちに正直に生きていた。
宴会場は約5年、家は約3年しか使わずに他界してしまったけれど…。
そう、そんな父の葬儀は派手なものとなった。
〜 すべてが私の一部:「おとうちゃん」④ へ続く 〜