死ぬまでに行きたい場所

と言う言葉を意識的に使わないようになった

2024/01/03の日記

2024年を迎えてから、去年末に考えていたことをときどき思い出すようになった
区切りが悪いなあと思いつつ、「去年」も「今年」も暦上のものであり、一直線上のものさしで見ると「去年」はただの一昨日の一日前(ってなんて言うんだろうね)のことだ
(調べたら一昨昨日いっさくさくじつ、さきおとといらしい。いっさくさくじつって)

去年のいつかな、いつかは忘れちゃったけど
なにか外国の綺麗な景色を見ている時だったと思う
今までの私だったらなんの考え無しに言っていた
「いいな〜死ぬまでに1回は行ってみたい」と言う言葉の「死ぬまでに」辺りで言うのをやめた
私のこの先の人生に、この場所を訪れる未来はないと思ったから
言葉に発することでそれが残り、死ぬ時に「叶わなかったこと」をひとつでも少なくしたかった

行きたくないわけじゃない、外国なんて行こうと思えば限りはあるが行けるもの、だと言うことも知っている
でもきっと私は行くと言う道は選ばないと思う
行きたいなあとなんとなく思うだけで実際に行動にするほどでもない

変な方向性で言葉に責任を持つようになってしまった


と朝豆乳入りココアを飲むために湯を沸かしていた時に思い出し、考えていた


今日は夢見なかったなあ(初夢は推しとお話する夢だった)と思っていたけど
朝駅に向かう途中で思い出した
誰かと一緒に出来るだけ安いタクシーを探して乗ろうとする夢
人間は考える○○の海だ(海じゃなかった気がする、でも何か自然物、山とか森とか)を埋めなさいと言う心理テストの前のテストを受ける夢、人間は考える葦だ。だったら知ってるけどその先に続く文字がおかしい、、テストの前のテストだから何でもいいのでは?葦って書こうかなと思いつつ悔しくて、もっと良いものを考える夢

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