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明日から友達と疎遠になる話

晴れた土曜。友達とドライブをして、いちご狩りに行った。
初夏のような暑さで、春先の寒さを信じ込んだ東北人の私達はどうしてヒートテックなんてインナーに着てきてしまったんだろうねなんて後悔していた。

山道を抜けて、山形から宮城へ抜けた。
途中小さな集落でお昼寝中の猫の通行止めにあったり、ナビに騙されて冬季閉鎖の山道に行く手を塞がれたりしながら、のんびりとドライブを楽しんだ。

山元町では、私の好きないちご屋さんでいちご狩りをした。彼はいちごがとても好きだったから、一度連れてきてあげたいと思っていたのだ。彼はもそもそといちごを詰み、もそもそとおいしそうに、ときには酸味でケホケホしながらもいちご狩りを楽しんでいた。
私は「形の悪いいちごのほうがおいしいんだよ」とか「こうやって指で挟んで摘むんだよ」とかいちご農家さんから聞きかじった知識を披露し、彼はへぇといつもどおり興味なさそうに私の話を聞いていた。

彼に出会ったのは10月のこと。失恋して以来続けていたTinderで知り合った。
結果から言えば、彼は彼女を作る気がなく、私も彼に恋に落ちることはなく「友達」として関係は落ち着いた。
それでも、クリスマスも誕生日も一緒に過ごしてくれ、温泉旅行に行くこともあった。
友達、という表現をわかりやすさから便宜上しているが、多分「友達以下、恋人未満」みたいな関係だったと思う。
とにかく私に興味のない人だった。だからこそ、私は一緒にいて居心地が良かった。どんな発言をしても、私に対して何も思わないひと。
誕生日を祝って、といえば祝ってくれるし、旅行にいこうといえば、来てくれる。わがままを聞いてくれる人。
でも、自分から自発的に会いたいと思ってくれることはない。元気?と気にかけてくれることもない。
本当はそれが少し悲しかった。

恋人がいなくなって、様々な局面でぶちあたる乗り越えなきゃいけないしんどさみたいなものを、私はひとりでたくさん乗り越えられるようになった。けれど、その時にでた歪みたいなものを私はやっぱりまだうまく昇華できないでいる。
彼は乗り越える力になってくれることはなかったけど、それでもただわがままを受け止めてくれた。無言でいても落ち着いていられて、しょうもない話も「へえ」と何となく相槌をうってくれる人がいることは私を回復させてくれた。
幸せにしてあげたいと思えることはついになかったけど、幸せになって欲しいと思った。
もうそんな風に誰かを見つめることはないと思うくらいには「誰かを想うこと」に疲れていたから、そんな「思い」を芽生えさせてくれたことも感謝しかない。
そう。この半年間、間違いなくたくさんの場面で彼の存在に助けられた。

でもこの春、私と彼は別々のまちで暮らすことになった。
お互いに会いにいくには、少し途方も無い距離。なんの共通の趣味もない、私が連絡をしなければ、きっと彼からは連絡が来ない、そんな関係だった私達にとって、疎遠になるには十分すぎる距離だと思う。 

たくさん遊んで、暑さの残る夕方、仙台駅まで彼を送り届けた。「じゃあね。いってらっしゃい」と微笑んで、車を降りていった彼を見て、「もう会うことはない」ことよりも「もう会うことがないということを寂しいと思わない関係なこと」がほんの少し寂しいんだなと思った。

半年間。決して長くはないけれど、それでも確実に毎日の辛さの助けになってくれていた、大切な友人だった。
きっと明日からは疎遠になってしまうけど、私は彼という存在を忘れないんだろう。
本当にありがとう。
ありがとう。



ほんとにほんとにありがとうございます…!