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日常と思える景色の乖離

25歳の写真100人展という企画をやっている。
展示写真のテーマは「日常」
「日常」と言われて、私はどの景色が日常なんだろうと思った。
今暮らす、但馬の景色を日常とするか、はたまた少し前まで暮らしていた仙台での景色を日常とするか。
結局、私は養父での景色を選んだ。それでも、自室、しかも仙台の頃と変わらない景色を選んだのは、仙台での暮らしがまだ私の中では日常として残っていたからだろう。
多分、誰かに遠慮した。
いつまで、あの頃を日常だと言うんだという誰かに遠慮したのだ。

けれど、一度仙台に帰ってくると、やっぱり養父での暮らしが夢だったかのように感じられて、恐ろしい。
今更「本当の私は見せられてない」なんて言うつもりはない。分かってくれてる人も、応援してくれてる人も、たくさんいる。
それでも、やっぱり私のまちではないから、ちょっと落ち着かない。

こればかりは地元と比べても仕方がない。
地元は絶対叶わないんだから。
だいたい地元にいたらいたで不満はあるわけだし、帰る場所として機能してくれているおかげでがんばれているんだから。

不満が言いたいわけじゃなくて、まだ日常にはなれてないんだなあと思っただけ。それだけ。

ほんとにほんとにありがとうございます…!