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井の中の蛙、大海を知る

2024年最初の取り組みはウィーン・プラハ旅行となった。
王宮貴族の文化が色濃く残るウィーンとカトリックが強く感じられるプラハ。同じ中央ヨーロッパなのに、全く文化や街の雰囲気が異なり、とても面白さを感じた

ウィーンの町並み
プラハ城

ウィーンはほぼ1日程度、プラハ2日程度となかなか強行スケジュールで、ウィーンはお土産の買い忘れなども目立ったため、もう少しゆったりしたかった…と思いつつも、既に日本食が大変恋しく、まあこのスケジュールがちょうどよかったんだろな、とも思っている。
でもビアホールとか行けばよかったかな?でも、酒も飲めないのに一人でチェコビールのお店行く勇気ないなあ…とか、部屋でこれを書きながら、もそもそと思っている。

ウィーンとプラハに行く、というと。なんで?と聞かれたけど、特段理由はない。そもそも最初はフランスかな〜と思っていて、でも今はちょっと荒れ気味だよと言われたこと&海外慣れてる勢に「チェコよかったよ〜」と言われたので「じゃあ…」という感じで選んだ。
そもそもは今を逃すと、もうヨーロッパには行く機会はないかも、海外に一人旅できる機会はないかもという恐怖心からきたものだった。英語も年々喋れなくなってきてるし。

でも何よりもこわかったのは「自分に満足してしまうこと」だった。
チェコやウィーンに行く、というと目を丸くされ、びっくりされる。でも大したことじゃない。本当に大したことじゃない。でもよく行くね、とか言われることになんとなく満足しそうになって嫌になる。井の中の蛙状態で、気持ち悪い。
「自分にとっては大した事ない」と思いたくて、旅行に来たんだと思う。

但馬へ越して、どんどん視野が狭くなっていく自分がとにかく怖い。知っている世界の少なさが恐怖を生む。
誰かとわかり逢えなかったとき、自分の知らない情報に出会ったとき、防御体制を取る自分になりたくない。

そして、30歳が近づいていることもまた、怖さのひとつだ。このまま何も極めたものがない状態で、30になってよいのか、飽き性にも限界があるのではないか、そう思って「デザイン✕マーケ」をちゃんと大成しようと決めた。給料安いなあとか思ってたけど、そもそもそんなことを気にしている場合ではなかった。
作ったデザインに対して、誰かになにか言われても「理由と考えを持って、意見を言えるようになること」。今のわたしは「分からないから、直せと言われたら直してしまう」「分からないから、直せと言われても直せない」そんな状態だから。

話はずれるけど、それにしても「苦手な人」から少し距離をおいたら、気持ちがだいぶ落ち着いたな。慣れれば、とか、わたしが諦めたら、きっと苦手も多少は和らぐけど、やっぱり許せない言葉がいくつかあって、わたしはそれを見過ごす人にはなりたくないと思う。

ここまで言葉にしてきて、30歳になったとき「仕方ない」と諦め、強さや当たり前を強要してしまう大人じゃなくて「弱い人間やマイノリティと呼ばれる人たちもいるんだ」とやさしくあれる私でいたいんだと、改めて気付いた。
そんな人たちが負けないために、寄り添い、そして力になれる強さを持った人でいたい。そのための武器と教養、そして理解することへの姿勢を辞めずに生き続けたい。

私は多分但馬へ越してきてから、ずっとわたしの弱さを悪とされることが、悔しかった。すごく悔しかった。以前の記事で言いたかったことはきっとそれだ。

今日見た景色で一番心に突き刺さったのは、雪の降る冷たい石畳の上でうずくまってカップにお金を求む人の姿。
彼も悪かったのだろうか、彼は悪くなかったのだろうか。
怖がらず、お金くらいいれてあげればよかった。明日も通ってみたら、未だいるのだろうか。

書いているうちにゴチャゴチャしてきたが、大変に気持ちは整理できた。そうか、昔の「誰かのため」を思っていた私はどこかへ行ってしまった、と思っていたけど、私は変わっていなかったし、目指している姿も変わらなかった。ただ知らぬ間に押し殺されていたのだ。

ここから考えることとしては、私のこれからの行動軸はそこに置くべきということだ。空気を読んで、どうにか理解されようとへつらう前に(そもそも苦手な行為だ)、その行動は寄り添うことに繋がれているのかを思考して、選び取りたい。

今回の旅行も「価値観を整えるために旅行に行くんだよね」とさらりと友達に話していたけど、どうやら本当にそうだったようだ
弱さを否定されても、うるさいと思うこと
心を殺さずに2024年は生きることにしよう

ほんとにほんとにありがとうございます…!