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【週末メモ】「自分のギフト」は届けるところまでが大切

こんばんは!ユコーンです。

毎週土曜日に定期ミーティングを友人と行っているのですが、そこで出てきた話の中で考えたことを書いてみたいと思います。


『才能や能力のことを「ギフト」と称されるけど、そのギフトが届けられることで救われる人が必ずいる。届けずに飲み込んでしまうのはもったいない。届けるまでが使命だ!』

という話を友人が聞かせてくれました。

さらにいうと、『自覚していなくてもすでに誰かに届けられていて、プラスの影響を与えられているギフトもあるかもしれない』ということ。


まずはすでに届けられているギフトの話。

自分が与える側だと考えたら難しく感じてしまいますが、与えてもらう側として見たら、めちゃくちゃあることだなぁ、と思います。

優しさ、寄り添い、言葉がけ、引っ張ってくれること、見守ってくれること、厳しい言葉、心地よさ、後押し、刺激をもらうこと、など。

周囲の人たちからもらう影響、届けてもらうギフトは山のように浮かんできます。

人からのプレゼントだけで生きてるんじゃないかと思うぐらい(笑)。

きちんと感謝とお礼を伝えられているだろうか、と思いました。


そしてまだ届けられていないギフトの話。

これは自覚している自分の中の何かが当てはまると思うのですが、怖くて発信できないな、どうせ認められないな、と飲み込んでしまうことなど。
こちらは思い当たる節がたくさん。

自分を守るために無かったことにしてしまい、それが届いた誰かに少しでも良い影響を与えられる可能性を潰してしまうのか。

自分のことは過小評価してしまうけど、自分を大切に思ってくれる人は少なからずいて、その人たちへのお返しに繋がるのであれば届ける努力をしてみたいな、という想いもあります。

結局自分のギフトってなんやねん、という沼にもハマりつつ。
探すというよりは気づく、もしくは認めるだけなんだと思います。



とんでもなく抽象的な話をしていますが、今日はそんなことを頭の中でぐるぐると考えておりました。

横になって体育座りしながらYOASOBIさんの群青をループで聴いてたせいもあるかもしれない(笑)。

周りを見たって
誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない
それでも


たまに訪れるYOASOBIさんの沼から抜け出せません…!(笑)

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