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資生堂のリストラ計画を聞いて

資生堂ジャパンが45歳以上で勤続20年以上の社員を対象にリストラとの報道を見て、まさにその対象に当てはまる大学の先輩のことを思い出した。
その人が内定をとったあのころは汐留オフィスが立ち上がったばかりで(入社後数年は地方まわりになるとはいえ)もうまさに世代の華を全部集めたようで順風満帆っすね!という感じだったが、今では汐留エリアそのものがゴーストタウン化しつつあると聞く。

リストラといえば、百貨店や製薬会社で応じた人は何人か知っているが、全員別の道に進んで機嫌良くやっている。
が、残った側の人のことは知らなかったなーと今回思った。

パッケージを積み増して早期退職を「募集する」という日本的慣習は、会社に残った人にとってはアメリカ型のレイオフよりはるかに地獄ではないだろうか。
45歳以上で勤続20年以上の社員はこの先、「あー...この人はしがみついたのね」と色めがねで見られるようになる。いやごめん、事情はいろいろだとわかっていても、私はつい同情の目で見てしまうと思う。

もちろん、会社として辞めてほしくない人が応募してきたら引き止めをかけるのだろうけど、「私はいのいちばんに応じようとしたんですが、熱い慰留を受けてしぶしぶ残ったヒトなんです、残るしかなかったヒトとは違うんです」って首からぶら下げて回るわけにはいかんしね。

で、連想したのが安楽死の制度である。
同調圧力の強い日本で合法化するのはおそろしすぎると思う理由はこれ。
いくらガードレールを堅牢にしても、特定の人たちが「この人、安楽死選ばないんだ...ふぅん...」という視線を向けられる空気に絶対になる。即なる。

すでに安楽死先進国で起きている問題については論を俟たない↓ が、日本の場合はこれにマシマシで一部の人の命が軽くなると思う。で、その一部の人の範囲は容易に広がるはずだ。

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