2023/05/28

友人の展示会と、好きなアーティストの個展にいった。何かを成し遂げ形にしている彼らは、地に足がついてるとは到底いえない環境で、自分らしさという眩い光を放って、ナニモノかになる道をぐんぐんと突き進んでいた。

今の私は自分が向かう目標に対して私が考えられる範囲で着実に挑戦をしているし、私のキャパシティを超えない範囲で努力もしてる。その自負がある。昔の自分と比べてよく成長してるな、とも思う。
なのに。
もっと頑張れるのではないか、見栄を張ることしかできないのか、何ひとつ生み出せていないじゃないか、前に進めていないじゃないか。1歩進んだ?だからなんだ。お前がその1歩を進んでいる間に、周りは100歩、1000歩、進んでいるぞ。自分のキャパシティを超えない範囲の努力?怠惰なお前のキャパシティなぞ知ったことか。歩け、馬車馬のように。焦れ、今の現状に。甘えるな、言い訳をするな、ただの自分の力量不足なのだから!
ぐわんぐわんと頭に跋扈する声に何も言えず、自分の努力を心の底から認めることも出来ず、ただ静かに絶望して、くだらない劣等感を誤魔化す余裕も持てないのだ。

ナニモノかに絶対になりたいという狂気を保ち続けられない。必ず変わりたいと言うほど現状に不満がないから。今の安定を捨ててでも成し遂げたいという情熱もないから。努力をしているふりだけは上手なんだな、自分は。薄っぺらくて嫌気がさす。
日本のトップではないしても偏差値的にそこそこ優秀な大学を出てしまい、周囲に流されるようにして卒業と同時にそこそこな就職先を定め、日々生きるには困らないそこそこのお金を稼いでいる。全てが中途半端でどこにも振り切れていない。
今の生活を健全に享受して、現状で幸せだし満足だ、という友人も周りに沢山いるのに。ナニモノかになりたかった劣等感とコンプレックスに、飽きもせず、日々打ちのめされている。

結局、自分らしく生きよう、なんて言うのは、自分らしく生きた結果ナニモノかになれる性の人たちがほざいてるだけの話で、素の状態で何もない私が自分らしく生きたところで、ナニモノかになれるわけがなかったのだ。
天才にもなれずガムシャラにも打ち込めず夢中にもなれないなら、せめて勉強しかできなかった半端に優秀な頭で、考えて試して繰り返して、どうにか秀才くらいにはなりたい。本当は天才になりたかった、でもこれが私なら向き合いたい。

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