2023/12/16 京都・モーモールルギャバンを見て

東京から京都まで1人で行くのは、実に初めての経験で。1人で乗る新幹線は出張で何度も経験してるからもう随分慣れているはずなのに、頭も体も信じられないくらい重い。きっと、寝不足のせいだけじゃない。

モーモールルギャバンのライブに向かっていた。
元恋人と行くはずだった。

私と元恋人は音楽の趣味が面白くらいあわなくて、同棲中の部屋に流れるのは決まって私が好きな音楽だった。耳馴染みのない音を聞くのは苦手だ。元恋人が好きな音楽は部屋に流れない。流させない。いくつも我慢してもらっていた、私のわがままの内のひとつ。
青葉市子、YUNGYU、4s4ki、泉まくら、禁断の多数決。私が繰り返し繰り返し流すせいで、元恋人が覚えた曲は数知れない。その中で、覚えるだけじゃなくて、好きになってくれた数少ないアーティスト。それがモーモールルギャバンだった。
下北沢でのライブチケットを買い逃した私は、流れるように京都のチケットを取る。恋人と一緒にライブに行けるアーティストはほぼいない。多少移動が必要だとしても、一緒に音楽を聴いて、嬉しい気持ちを共有したかった。モーモールルギャバンのライブの話をした時、恋人も乗り気で。京都まで行くのは少し渋っていたけれど、月曜は有給取ってついでに旅行しちゃおうよ、って言った私の提案を聞いて、納得してくれたみたいだった。ユニバに行って、念願のバタービールを飲むはずだった。

自分だけの時間はほぼない日常を当たり前に過ごしていた私に取って、1人で降り立った京都は妙によそよそしい。ガヤガヤと行き交う人たちの中で、私だけがひとりで、私だけが誰からも愛されず、私だけが帰る場所がなかった。恋人を失ったら誰しもが思うであろうことを、激しく、強烈に感じた。なんというか、私は、度を失って孤独だった。
関西在住の友人に言ったら、あぁ!あそこね!といわれるライブハウス。磔磔は、熱気と期待と人で満ちている。運良く小上がりの端っこを陣取れた私の視界は良好で、ステージの端から端、隅々まで見ることができた。心の底から大好きと、胸を張って言えるアーティストのライブを見るのは、初めてかも知れない。ヒュウヒュウと寒々しかった心臓が、静かに脈打つのを感じる。

終電がゆうになくなった深夜の帰り道、ワリカンで買った電動自転車を2ケツしながら、「亜熱帯心中」を聞いた。ベロベロに酔っ払って入ったカラオケで、喉が痛くなるほどの大声で、「POP!烏龍ハイ」を歌った。まだ別々に住んでた時、一緒に恋人の一人暮らしの家に向かう電車で、イヤホンを半分こしながら「7秒」を聞いた。名前の部分を私に変えて、おどけたように「ユキちゃん」を歌ってくれた。恋人。恋人だった人。

泣きながら聴いてたあの歌声が、大笑いしながら歌った歌が、部屋中に当たり前に流れていたメロディが。目の前で、生々しく、ものすごい熱量で私に押しかけてくる。あつかった。どこまでもどこまでもあつかった。目に涙がにじむ。水分で視界がぼやける。嬉しかった。私は、私は孤独ではなかった。
酔って神様に連絡をして死ぬほど後悔したとしても、ウィークリーマンションの片隅で震えていたとしても、生涯を共にすると思っていたパートナーと別れたとしても。モーモールルギャバンはずっとモーモールルギャバンで、音楽は音楽のままそこにあった。それぞれの歌にそれぞれの思い出がお客さんごとにある。あたたかかった。心臓の下の方が焚火にあたってるみたいにゴゥゴゥと熱を発する。このままこの時間がずっとずっと未来永劫続いて欲しい。そう思った。
ライブはあっという間に終わった。

2階の控え室から母親を探して声を上げる幼子、アンコールで尿漏れの話をするユッカさん、歳をとるとほくろが大きくなる話をするマルガリータさん。当たり前のように煌めいて、当たり前のように美しく、当たり前のように生きていた。ドラムを叩き、汗を撒き散らし、全身で曲を演奏するゲイリーさん、美しい。1人で京都に降り立った私は、美しい。自分の足で地面を踏み締め人生を歩む私は、美しい。美しく、美しい。それが、その事実が、私はたまらなく嬉しかった。
東京に帰る新幹線の中、この文章を書いている。美しく美しい誰しもが、私たちは、私は、明日も日常が待っている。

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