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新・日本男児と中居が終了・・・人生の勝算~僕がテレビに出るまで【たかさん Vol.2】

前回の記事はこちら

では今回は戦略と出演時の取材やり取りをお話していこうと思います。

戦略❶

まず人生の勝算を読んで思ったことは『この人(前田裕二)のパワーはどれくらいなのかを実際に見てみたい!』でした。
いろいろと調べていくうちに、どうやらキンコン西野さんと仲が良いということがわかり、そっちで情報が手に入らないものかと考え『西野亮廣エンタメ研究所(オンラインサロン)』に衝動的に入りました。

そこで『占いフェス』というイベントが行われることを知り、前田さんも参加するという情報が!!
ということで早速参加することに。
※ただただ本人のオーラというか戦闘力みたいなものを実際に感じたくての参加だったので、イベントの内容は全く覚えていません。(笑)

前田さんがそのイベントで何をやっていたかは忘れちゃったんですけど、僕が見たのは、ちょっとした柵みたいな仕切りと、人があふれている光景でした。
それを見たときに急に我に返ったというか、『なんで自分ここにいるんだろう…』みたいな焦燥感がわいてきたんですね。
きっとここで初めて前田さんの位置というか距離感がわかって、たった1冊の本を読んで浮かれていた自分が恥ずかしくなったんだと思います。
『あなたは何者?』って。
そこからですね、急激に行動のマネをしだしたのは。
『一度横に立って前田さんの見ている景色を体験したい』と強く思い始めたんです。


戦略❷

『間違いなくこの人はもっと世に出ていく』と確信していたので、自分がどんな戦略でいけば横に立てるか?をすごい考えました。
SHOWROOMを死ぬほど頑張る?起業する?何かプレゼンしてみる?etc...
とにかくいろいろ考えましたが、その時に西野さんがよく言っていた『ひな壇芸人はいなくなる』みたいな発言と『個の時代になる』ということがヒントになりました。
※ひな壇に限ったことではなく”スマホサイズの番組には、たくさん人は出れない”という意味ですね。
つまり、『圧倒的に個性的かつ番組で話せるエピソードが沢山ある』状態です。
なので、『とにかく前田裕二に関しては日本TOP3に入るオタクになろう』と決意しました。
そこからは、VOL.1の❷にも書きましたが、できることはほんとに何でもやりましたね。とにかくやばかった…(笑)


取材

そんな前田裕二的生活を続けて1年くらいたった時にFacebookにDMが来たのは前回お話しした通りです。

めちゃめちゃ怪しんではいたので、一応この話が本当か取材担当の会社に確認だけしました(笑)

1回目は電話取材を受けました。
もちろんこの時には僕が出ることは決まっていませんし、何人か候補がいるということも伝えられていたので『この取材なども無駄になるかもしれません』と言われていました。
ただ、僕はこの取材がきた時点で80%ほど自分に決まるだろうという確信めいたものはありました。
なぜならその時点で2つのことを知っていたからです。

①Twitterから何からとにかく前田さんをエゴサしまくっていたので、僕以上に前田裕二のエピソードを話せる人がいないことがわかっていた。

②前田さんの出演している番組は全てチェックしていたので、取材依頼の時にはすでに番組の趣旨を理解していた。

そこで電話取材の応答の際も『一体お前は前田の何なんだ』というくらい前田さんの話しをしました(笑)
全て即答、聞かれたことで知らないことはなく、むしろ前田さん本人以上に前田裕二のことをディレクターの方に教え込みました。(笑)
そして番組の趣旨も理解していたので、こちらからも向こうが欲しそうなエピソードをいくつも伝えました。
そこから、顔見せ→対面取材(ググって答えてないかとかエビデンスの確認?)→本番
といった流れです。


結論

前田さんが『優れるな、異なれ』とよく言っていますが、自分自身、著名人になりたいとか(なれるかは別として)、目立ちたいとかないですが、そうした方に現時点で思うことは『異なることが第一歩』と伝えたいです。
(とはいえ本当に奇をてらうだけで、失礼だったり不愉快だったりする人は相手にされません)
じゃあ『異なるって何?』ってことですが、『頭が千切れるほど考えてもそれをやりたいっていう状態』がそうなのかなと現時点では思っています。

次回は出演してみての感想を書こうかなと思います!!
ここまでお読みくださり本当にありがとうございました!!

異なることのヒントとして、僕のクラスメイトのこの記事がとても良かったので是非読んでみてください。
それでは!!


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