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心の整理

心の整理と書いてみて、本当は生理なんじゃないかと思った
重く煩わしいあの生理
心の生理・・・心が生理
今の私は全く整理がつかず重く煩わしい中にいるからだ

思いもよらぬ人の死
BUCK-TICK 櫻井敦司さんの死
手元の100冊を超える会報が伝える過ぎた年月
私が会員になった時点でも結成から10年は過ぎていて
その存在を知って胸が高鳴ったのはさらに遡って
ヴィジュアル系全盛期の中学の時だ

ただ私はそれほど熱心なファンではないと思う
今ももちろん会員だけども、届けられる会報のメンバーの写真をみたり
あっちゃんの言葉を読んだりする程度だ
新譜を聴かなくなっても長い
ときどき無性に聴きたくなる好きな曲を繰り返し聴くぐらいだ
それで幸せだった

バクチクのファンになった頃とhideさんが亡くなった頃は同じ時期だ
当時はエックスとhideが好きでCDが聞けなくなるほどまで聞いていた
そんなhideの死は高校生の私にはとても受け止められるものではなかった
連日テレビで放映され、葬儀の模様が流れ、後を追う人もいた
大好きな歌手に熱狂しそれが全てだとするのがファンだと当時は思っていた
しかし、hideを失って学んだことは音楽はもっと気軽に楽しむもので
それは広くいろいろな音楽に触れることだということだ
世の中には聞ききれない程の音楽があふれている

そしてその経験がいわゆる熱狂的にまでハマる事に
制限をかけているのかと思う
大好きな人の死の痛み
決して隣にいるわけではない
彼らがいなくなっても、私の生活は何一つ変わらない
周りからしてみればその扱いはもっとひどい
私だって自分に関係ない人の死までは悲しめない
それは心が受け止めきれないからだ

口には出さないが大切に思っている大好きな人の死は
その関係が直接的でも間接的でも
私のからだに心があるんだとわかるほどに胸が痛む

hideさんが亡くなった時にライブで哀悼してくれたあっちゃんに
心から感謝した
よくわからない人達の悲しみの言葉より
よくわかっている人たちの言葉が一番心に寄り添ってくれるからだ

いまだに泣くことができない
泣くその一歩手前で胸が締め付けられて苦しい最中に
違う事へ気を向かわせてしまう
受け止めたくないのだ、この事実を


それは誰もに平等に訪れること
悲しみはその人や生き物との思い出にあり
決して今が悲しいのではない
この先に新しく紡ぎだされるものがない事は
悲しみでもなく空虚でもなく
無ではないだろうか
何もないところに何もおこらないから
大きな悲しみを消化する言葉などない
時間だけだ

彼の訃報を受けてからわたしはずっと探し物をしている

「何処に行ってなにをしたい 好きなところに行って何もしない」櫻井敦司

直筆で書いた言葉をコピーした紙だ
雑誌に掲載されていたのか(会報には見つからなかったので)
そのページをコピーしたものを飾っていたのだが
整理整頓の際になくした模様で
そして彼がいない今、私にとってあの言葉だけが彼を感じさせてくれると
あの日からずっと探し続けている
懸念は一つ
捨ててしまったのではないかという事だ
何年と大事にしてたものを、あっさりと私は捨てたのではないかという
自分の愚かさも含め見つけたいのだ

最後に
あっちゃんは我慢しなくていい場所がある事を教えてくれる人です
ネコが大好きで、笑顔がとてもかわいく、ただただ優しく
誰よりもセクシーで甘い声とマスクの持ち主
そしてあっちゃの言葉にはいつも愛があふれていたように思います

あっちゃんが事あるごとに締めくくる言葉があります
「健康で幸せでありますように」と













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