リーダーシップの幻想、リーダーシップの倫理
組織を超えたリーダーシップについて考えている。
休日中に色々な本を横断的に乱読していた時に目に止まった以下の文章。
優れたリーダーシップは、常に最高の成果をもたらす。そう期待するのはロマンチックすぎる。
リーダーシップは結果だけを見て語るべきものではない。われわれはあまりにも結果を気にしすぎる。
そして時には、その結果をもたらした手段を気にしない愚すらおかす。
最終的な結果に夢中になりすぎるのは現代社会特有の悪癖だ。
そしておそらく、リーダーシップを語るに際し、倫理の色合いがどんどん薄れてきた元凶でもある。
「なぜ、あなたがリーダーなのか?」
組織を超えたリーダーシップについて考えている
最近、「組織を超えたリーダーシップ」について不定期ですが、1テーマづつ書いている。
自分自身も組織を超えた働き方にシフトしている状況なので、それを冷静に、客観的に見ていくため。という意図があるのですが、そもそも「リーダーシップの幻想」について考えてしまったので、本日のnoteは自分への問いでおわってしまった。
優れたリーダーシップは、常に最高の成果をもたらすという幻想。
リーダーシップを結果だけで判断してはいけない。
結果をもたらした手段を気にしない。傾向がある。
最終的な結果に夢中になりすぎる悪癖。
そしておそらく、リーダーシップを語るに際し、倫理の色合いがどんどん薄れてきた元凶でもある。
問い
さて、「リーダーシップ」とは何か。
「リーダーシップ」の倫理とは何か。
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Photo by Johannes Plenio on Unsplash
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