言われて嬉しくなることって何だろう

代官山のTSUTAYAで代官山人文カフェ(http://real.tsite.jp/daikanyama/event/2019/01/70100.html)に参加して、哲学対話をやった。

そこで参加者で問いを出し合って今日考える問いとして決まったのが、「言われて嬉しくなることは何か」だった。

私は真っ先に「ありがとう」が浮かんだ。

けれど不思議なのは、1番印象に残っている「ありがとう」が出てこないことだ。

「ありがとう」よりも言われて嬉しくなったものがあるということかもしれない。

対話の中で、「無条件に自分の存在を認めてくれるときに嬉しくなる」という話が挙がった。

確かに、人のためになることをしたから、とか、努力したから、とか行動ありきで認めてもらえるときより嬉しい気がする。

私は不注意なところがあるので、しっかりした人になりたいと思って行動するようにしているのだけど、
「しっかりしてるね」と言われるのは不本意で、「意外と抜けてるんだね」と言われた方が認められた気がして嬉しいし相手に対して心を開いてしまう。

根っこの部分から認めてもらえると、私は嬉しいのかもしれない。

そしたら、反対に相手に嬉しくなってもらうには、「あなたの根っこから認めている」と伝えるといいということだろうか。

ただ、どう伝えるかは難しい。

まずは相手に関する情報を忘れてないよ、知ってるよ、と示すことだろうか。

これに関しては、少し嬉しく思った経験がある。約半年ぶりに会ったサークルの同期が私の出身地を忘れていたことに対して、他のある同期が少し怒ったそぶりを見せたことが、ちょっと嬉しかったのだ。覚えていてくれたことで、認められている感じがしたのだと思う。
その少し怒った態度を見せた同期は、周りをよく見ていて、そういう、人の情報だったり行動だったりという部分を普段から大事にしているのだなと思わせる行動を他にもしている。
だから周りに慕われるのだなぁと気づいた。

他にも、あなたのことを認めていると伝える方法はあるはずだ。

「人を喜ばせたい」というのは、私が今のところ考えている、働く目的でもある。

どう喜ばせるか。まだまだ考える余地がある。
あぁ、いろんな人と対話したくなってきた。


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