損切りの正体。


こんにちは、もすです。

医師国家試験が終わって、久しぶりの投稿です。

今回は、損切りの正体について解説していこうと思います。

①損切りが出来ないと人生で損をする
②損切りが出来ない人間の正体
③損切りが出来ない人間の末路

の3つに分けて解説していきます。


①損切りが出来ない人生は損をする

「損切り」。金融用語なのでもしかしたら聞きなれない単語かもしれない。

損切りとは、含み損が生じている投資商品を見切り売りして損失額を確定すること。
wikipediaより引用

簡単に言えば、「ある物を持っていて、それを持つことですでに損失がでている時に、更に損をしない為にその物を手放す」という事である。

これは何も、金融や投資だけの話ではない。
損切りの考え方は、人生にも応用できる。

これは自分の知人の女性の話だが、彼女はDV彼氏と交際している。彼氏の言う事を聞けなければ、暴力にモラハラは当たり前。全身に大きなアザがたくさんあった。

普通の感覚からしたら、「そんなの別れたらいいのに」と思うだろう。しかし彼女は境界性パーソナリティ障害であり、愛着障害である。(↓に記事をまとめているので読むとどういう人格か分かると思う。)

彼女の言い分はこうだ。
「彼も怒ってない時は普通なの。」
「自分からは関係を断ち切れない。1人になりたくない。辛いけど、向こうが切ってくれるのを待つ。」

あまり深く話すつもりはないのでこのくらいにするが、結局、彼女もまた損切りが出来ない人間なのである。

そんな損切りが出来ない人間は、不良債権を抱え続ける事でさらに損をする。見て見ぬフリをし続けながらいつかバブルが崩壊した時に、最大損切りをしざるを得なくなる。(心が壊れてしまう事や自殺する事がそれに当たるだろう)

損切りをしない人生は、損をする。


---損切りすべき状況

こと恋愛においての損切りを例に挙げたが、人生における損切りすべき状況はそれだけではない。

人生は損切りの連続なのだ。

大人になっても過干渉してくる「家族。」
自分を傷つけてくる「恋人。友人。」
得られる物以上に心を削る「仕事。」
効率の悪い勉強などの「努力の方法。」

これらの価値を推し量り、それらを抱える事による利益と損失を天秤にかける。誰もが日常生活を送る上でやっている事だろう。

先ほどの自分の知人女性の様に、その価値基準が歪んだ人間は必ずどこかで損をする。しかるべきタイミングで損切りが出来ないから。



②損切りが出来ない人間の正体

それでは、利益の為に損切りができる様になるにはどうしたらいいのだろうか。その答えは、そもそもなぜ損切りが出来ないのかを見抜く事である。

結論から言うと、損切りが出来ない人間の心理は現状維持バイアスがかかっているだけなのだ。
要は、変化を恐れているだけ。リスクを恐れているだけ。

自分の人生に付いてきた物だから、愛着がそこに生まれるのはわかる。わかるが、それが損失を生んでいる場合見切りをつけて早急に損切らなければ、もっと大切なものを失ってしまう。
それはお金なんかだけではなく、他人との関係。損切ることで得られたはずの利益(機会損失)。自分の心。

(ちなみにこれらの心理現象を表現した概念として、コンコルド効果、サンクコスト効果がある)



---損切りには感情的損失が生まれる

ここで言っておきたいことは、損切りには必ず感情的損失が生まれる事だ。

「今までずっと関係を持ってきた家族だから。恋人だから。友人だから。」
「ずっと頑張ってきた仕事だから。やっと就く事ができた仕事だから。」
「自分の編み出した勉強方法だから。自分にはこれが合っていると思いたいから。」

それらの感情的損失の正体は、損切る事で過去の自分を否定してしまう様な気分になってしまう事だと思う。
(他には、損切る事で損切った相手が可哀想という理由もあるかもしれない)

その感情は、人間なら当たり前に持つべき感情だと思う。
自分が言う「利益と損失を天秤にかける」と言うのは、ただ額面上の利益と損失を見ろと言っているわけではない。

「その感情的損失も含めて、価値を正確に推し量り天秤にかけろ」と言いたい。



③損切りが出来ない人間の末路

こんな風に偉そうに語っているが、自分も昔は損切りの出来ない人間の1人だった。
自分にとって損でしかない他人との関係性。損でしかない所属団体。損でしかない自我。

それらを損切れないでいたから、自分は双極性障害になってしまった。死のうと思った。危うく殺されていた。

そう、損切りが出来ない人間の末路は悲惨である。

その事を、いまいち分かっていない人が世の中多すぎると思う。

今の自分は、家族でさえ平気で縁を切ってもいいと思えている。恋人も友人も仕事も自我さえも、自分の人生に損を与えるなら切る覚悟は出来ている。

そうでないと、自分はストレスで死んでしまうから。


---自殺でさえ損切りの1つ

自分は本気でこう思っている。将来的に、自殺する方が楽な状況が来たら自殺を選ぶと確信している。

正確に物事の価値を推し量ることが出来るなら、その上での自殺という損切りの選択は自分は悪い物だと思わない。死が救済となる事は往々にしてあるだろう。

「4月から医師になるお前がそんな事を言って良いのか」と批判したくなるのも分かる。

だが、本気で死にたいと訴える患者に、「生きてりゃ良い事ありますよ」と励ます事の方がよっぽど無責任なのではないだろうか。患者はこれからの話をしているのではなく、今辛いことの話をしているのに。

しかし、希死念慮を持つ患者の多くは現状が過酷すぎて正常な判断や正確な価値を推し量る事が出来ていないケースが多いだろう。精神科医になるなら、そんな患者とたくさん向き合う必要がある。

そこで精神科医としてやるべき事は、患者の天秤を正確に作り、自殺よりもっと良い方向性を協力して探し、自殺の乗った皿を上に持っていってやる事だろう。(その辺の死生観も↓にまとめてある。)



まとめ

今回は損切りについて解説した。

リスクを恐れて損切りをしない人生の末路は、悲惨である事をどうか忘れないでほしい。

この記事を読んでくれた方が損切りを選択する事で、幸せという人生の最終目標に少しでも近づける事を強く祈っている。

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