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母の性別を"母"にするな

母。ゆみこ。
私が生まれたときにはもう母は「母」であり、1人の「ゆみちゃん」という女性であることを私は意識せずに30年生きてきたように思う。

何年醸造してますか?と疑問に思うほどの年月、実家の洗面台には菊正宗の化粧水ボトルが置いてある。いつ見ても残量が似たような位置にある。

服は、もらうか、セール時のユニクロかしまむら。3000円の服を買う勇気が持てず棚に戻す。
ブランド名には詳しくない。一方で、なぜか我が家を台風の目のようにして親戚一同がやたら裕福なため、ブランド価値を理解せぬまま高い服をおさがりとして譲り受け着用している母を見るとすこし笑えてくる。
部屋着として、私が10年以上前に部活で着ていたヨネックスのハーフパンツを履いている。

まるちゃんや花沢さんの「母」に近く、たまちゃんやイクラちゃんの「母」ではない。


母と服

母を「女性」としてきちんと尊重し、接するべきだ。そう思ったのはここ数年のこと。
きっかけは忘れたが、いつ見ても同じ服を年単位でローテしている母に「服買いに行こう」とイオンに誘った。そこで母に試着をさせ、服を選んでいるうちに当たり前の感覚に気づいた

「・・・お母さんって、ちゃんと女の子じゃん・・・。」

こういう色がかわいいね、お尻まで隠れるのがいいよね、首がかゆいっていうけど冬のタートルネックは可愛いしこれトレンドよ!、そんなことを母に話してるうちに「そうなのね」「うん、これかわいいね」と母の表情が綻びていく様子が嬉しかった。

ユニクロの広告キャッチコピーに

ふだん着の日が、人生になる。

というものがある。
そう思うと、少なくとも私が生きた30年、母のふだん着は「母の着たい服」ではなく「着れる服」だったように思った。極論、裸が隠せるまだ破れていない服。

巣立った兄や私が実家に置いていった服、親戚から段ボールで送られてきた服。(ただ、ありがたき親戚からの貰い物は、母には若干派手で着こなせず、多くはタンスの肥やしになっている)

それが母のふだん着だとして、そしてそれが母の人生だというなら、なんだかむしょうに悔しくなってしまった。

「冬服を買いに行こう」

昨年末に帰省したとき、母をまたイオンまで連れ出し、母一人ではぜっっっったいに立ち寄るわけがないブランド(と言っても、イオン内のカジュアルブランドばかりである)にずかずかと手を引き入っていった。
1月を過ぎてやっと調達するのだ、冬服を。

これはまた別の機会に書きたいが、母は父に「用途申告型」のお小遣い制度の中で生きている。

「服が欲しい(のでお金をください)。」といえばまず返ってくるのは「あるどが、大量に。贅沢っか。」(=あるだろ。大量に。贅沢だ。)の言葉と、指差されるタンスの中の「着れる服」たち。そんな会話に嫌気がさし申告することも諦めている母には単純に、服に使える自由なお財布がないのだ。

「年に数回しかないんだから、このくらい全部私が買う」と言って、そこから季節ごとに帰省しては母と服を選び、プレゼントするイベントが根付いた。喜ぶ母の姿も見れて私も楽しみにしているイベントだ。

冬服を買いに行ったのに、母は一目惚れした春コートを買ったこと(買ってもらったこと)に一番喜んでおり、春まで寝かすために一度タンスに入れたはずが、何度も取りだしては「うふふ」とコートに笑いかけて「ありがとうねえ、メメちゃん」と私にお礼を言うのだ。

「春が待ち遠しい」とそのコートを見て、何度もスマホで写真を撮る姿にまた私は「母」ではなくそこに1人の「女性(というより、女の子)」を見るのだ。


母と爪

実家に帰って母の鏡台を見ると、100均のネイルポリッシュがあった。

「かわいいね、塗るの?」

聞けば、かわいいなと思って100円だし買ってはみたけれど上手に塗れなかったと。家事は水仕事も多く、すぐ剥げたと。

私は母が色とりどりのネイルポリッシュの売り場の前でふと立ち止まり、好みの色を選んだ姿を想像してとてつもなく愛おしく感じた。

自慢だが、私はジェルネイルばりにセルフネイルで塗りムラなくワンカラーを仕上げられる謎の特技をもっている。母の手をとって丁寧に爪を塗ってあげた時間はとてもおだやかだった。私が持参していた、"最強"と感じているシャネルのトップコートを塗りたくって仕上げた爪は水仕事にもよく耐えた。

正直「おばあちゃんの手だね」と言ってしまいそうになるほど、年季を感じる見た目になった母の手だったが、そこにのったコーラルピンクの爪は桜貝のようで愛らしかった。


母と髪

母は後悔していることがあると言っていた。

今は亡き祖母(母の、母)が今の母くらいの年齢の頃「かつらがほしいなあ」と言ったそうだ。

これに対し、母は「そんなのいらん!」と一蹴して終わったそう。
もうおばあちゃんなんだから、髪なんて気にしてもしょうがないじゃんと。そんな贅沢品買うよりもっと必要なものあるわ、と。

「頭のてっぺんのボリュームがなくなって、自分の髪型がすごくいやなの」

母は鏡台の前で髪をとかしながらこぼし、

今になってね、心から後悔してるのよ。ばあちゃんが言ってたのはこういうことだったんだって。あのときちゃんともっと真剣に話を聞いてあげればよかった

と何度も言っていた。
私も正直、そう母から言われるまでは心のどこかで思っていたのだ。

もう嫁にも行って、子供も3人全員成人して孫もいて、70歳手前で「いまさら、"誰に対する"おめかしをしたいのさ」と。

完全に母を、ひとりの女性としてではなく、「性別:母」にしてしまっていた自分の思考に気づいて、心から「最低だ」と感じた。

コンプレックスや悩みはお金で解決できるならそうしたほうが絶対いいよ、と母に伝え頭頂部専用のウィッグについても個人的にかなり調べた。

「次に私が帰省したときには一緒にお店に試着しに行ってみようよ、イオンにあるよ」(安定のイオンモールである)と約束をした。


母は娘でもある

以前、父のガンについて触れたことがあり、そこでは傷心もあり父に甘めの文章を書いたけれど、基本的に私は父に物申したいことが山のようにある。

社会人になって、ようやく目線を同じにして父に意見できるようになった気がしたので帰省するたびに、目につく言動や態度があれば「娘の勤め」として何度か苦言を呈して"矯正"を試みている。

基本的に父は母への当たりが若干強い。(DVなどは一切ない)
手料理を食べながら「今日も作ってくれてありがとう」よりも先に「ちとしょっぱかね」(=ちょっとしょっぱいな)を口に出すようなデリカシー皆無男なのだ。

こういう、大きな失態ドカン、ではなくちいさな「は?性格終わってるね」を積み重ねてきたことで、見事に家族全員から遠巻きにされている父なのだ。

私の実家は、もともとは母の実家を継いだ一軒家なので、居間の天井付近には母の亡くなった両親の写真が並んでいる。よくその写真の目の前で母をこき使えるなと神経を疑うシーンも多々あるのだ。一方で、私に対しては激甘なのも父の特徴だ。

だから私はもう我慢ならんというときに

「あのさ、私がどっかに嫁いでその旦那から命令口調で指示されたり、なにやっても感謝の言葉もなくてさ、しかも十分に生活を楽しめるお金ももらえてないって知ったら、『俺の娘に〜!』ってお父さんブチ切れてくれるでしょう?それと一緒だから。お母さんってじいちゃんとばあちゃんの大切な娘だから。お父さんのモノじゃないから。そこ(天井)からいつも見てるんだから、考え方変えてよ。」

と伝えたことがある。
あの破天荒な父親に1mmでも響いてくれた部分があったのかはまったくわからないが、

母は「女性」であり、祖父母の大切な「娘」であることを、私はこのさきずっと自覚していたいし、そういう扱いを周りにも求めたい。


次の帰省でまた服を買ったり、ネイルを選んだり、おしゃれウィッグを試しに行くのがこれから楽しみだ。

母はたしかに「母」でもあるけれど、同じ「女性」の先輩だから。


※この記事のサムネイルは私が撮った「母との写真」のなかの1枚で、お気に入りなのです。このあとネイル塗ってあげた。ふふ。


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