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当たり前こそ素晴らしい


セカンドライフの輝きは当たり前の日常の中にある


皆さん、おはようございます。


今日は「当たり前こそ素晴らしい」

というテーマで綴ってみたいと思います。



私達は、生きる年月が経てば経つほど、

当然、経験値が増えていくのですが、



それが当たり前の日常となっていて、


そのことに気づいていない方は意外と多いのではないでしょうか?





例えば、私が以前お仕事をさせていただいた農家さんでは、


10時と3時に必ず休憩があったのですが、


その時に毎回出てくるおやつの量がものすごくて、

とても驚きました。

それは、社長さんの従業員さんたちに対する労いの気持ちであり、

必ず、毎回沢山出ます。  


お茶も本当に美味しい緑茶です。

その時、皆さん何杯もおかわりしては、注ぎ合ったりして。


また、その時の他愛もない会話が本当に心癒やされ、

本当に穏やかな休憩時間でした。


しかも30分近くも休憩しているのに、

誰も指摘しないではないですか!(笑)


また、皆さんが何気なく話している会話の中には常に、


仕事のヒントがあったり、

自然体の中でのコミュニケーションを通して、

信頼関係が出来ています。



そして初めての私にもとても優しく接してくださり、

そんな皆さんの様子に、

私は良い意味のカルチャ―ショックを受けてしまったのです。



そしてその皆さんの絶妙な距離感は、

まさしく現代では失われつつある、

対面での貴重なコミュニティであると感じました。



ところが当の皆さんにとってはそれは、

当たり前の日常となっていて、

それがどれだけ貴重で素晴らしい事かということに気づいていないわけです。



私の話ですと、

食事は大体、直感的に我流で作っていて、

レシピも何もないのですが、


それが夫から見ると、「料理が上手」というように見えるようです。


ところが私自身は、

料理が上手だなんて一度も思ったことはなく、

忙しく、経済的にも余裕がない中での苦肉の策として、

時短で、ある物でなんとか作っているうちに、

いつの間にかそうなってしまっただけなのです。


当たり前に気づくには俯瞰力を身につける



その様に自分では当たり前のことが、


人にとっては当たり前ではなく、

貴重な事だったり、

刺激を受け、切磋琢磨するきっかけとなっていたりするのです。



だからこそ、

私達は自分の日常の中で当たり前に行っていることを、

一度俯瞰してみて、



「そう言えば、今日もできたな」


「じゃあ、これをもっとブラッシュアップしていこう」


「今日も偉かったね」などと、

自分自身に伝えてみても良いかもしれませんね。



そう、当たり前の事とは、

当たり前でない人にとってはとても貴重な事なのです。



そんなことに気づけると、


これからのセカンドライフがもっともっと彩り良く輝き、


もっともっと自分に誇りを持てることでしょう。




それでは皆さんの一日が素晴らしい一日でありますように。

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