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母の日と私の日

今日は全国的に母の日。

幼少期からずっと私は母に絶望していた。

なぜなら、母は自分が与えたいものを私にくれた。
それらは私が欲しいものじゃなかった。

自己肯定感しかない母にうんざりしていた。
「ママはなんでもできるの、すごいでしょ?」

母は「私は綺麗で学校時代はどの男子生徒も私を見に来たわ」が
自慢なだけでなく、TVなんかで人の外見を「この人みったく無いわ(北海道弁?醜いという意味)」と、ズケズケと言い、それが私はフツウに感じてたから同じように辛辣なことを平気で言ってた子ども時代が黒歴史だ。

自分の思い通りにならないと怒って私を叩き、
プラスティック製のヘアピンが割れたこともある。

ついでに言うと父も厳しい人で、ルールを守らないとか
言うことを聞かないとかで北海道の雪の夜に普段着のまま外に出されたりした。

大人になった今だから思うけど、
そこまでされなきゃならない悪いことなんてしてなかったのに。

私は悪い子と信じ込まされてた。

自分の居場所を確保するため、
学校生活では優等生で人気者であろうと
頑張っていた。でもいつ、自分の悪事(そんなものはないのだけど)が
バレるかといつも緊張して疲れていた。

どうせこの人たちは私をわかってくれない絶望感。

ワガママ言ったり、嬉しいとか悲しいとか言ってはダメな家だった。
子どもってワガママ言ったり感情をストレートに表現するものなのに。

私は子どもだけど、子ども時代を楽しめてない!と思ってた。

だから私は大人にならない!と、映画「ブリキの太鼓」のオスカルみたいに大人にならないと決意した。

本当にそのまんま大人になって55歳を超えた頃、
自分の中にくすぶる「絶望」は自分を不幸にしている気がした。

対人関係、パートナーシップ、仕事の仕方…
自分の選択は自分を幸せにする方向に行かない。
そこにはたと気づいた。


同時に、同世代の親が認知症になったり亡くなったりの話題が増え、
世界的にコロナになった時、

このまま会えずに死んでしまったら後悔する!

そう思った。


それで、自分の心を深掘りしたり心理を学んだりしながら、
親が死んだら二度とわからないことを聞いておきたくなった。

・両親の、それぞれの親との関係、
・両親の子ども時代、何を感じたのか、どう生きてきたのか
・私が生まれた時のこと、
・幼少期の私の何が印象にあるのか、どう感じたのか

家族の、個人的な小さな歴史には形がないし当事者が亡くなれば消えてしまう。だからこそ聞いておくべきだと思った。


「なんで今更そんなこと聞くの?」と訝りながらも自分語りは大好きなので
よく話す母。

予想外に色々語った父。父は会話や感情表現が苦手で計画したこと以外は受け付けない多分ASD。私は父と会話らしい会話は本当にこれまでしたことがなかった。挨拶、命令(〇〇しなさい)、要件のみ!


こうしたエピソードを聞いたり話したりする中で、私は自分がこう思っていた、と言う話を少しずつするようになった。

体罰で怒りを感じていたとか、

本が好きだったのはどう思ったの?とか。

毎週の休みごとにとりあえず話すことに決めて、その中でも相変わらず喧嘩になったり絶望したりを繰り返して3年経った今、

両親も変化したのだ。

母は「今思うとあなたには随分寂しい思いをさせたんだな、ってやっとわかった」と。

父は言葉での表現はあまりないけどLINEで絵文字を使ってすぐに返答はくれる。以前はなかった「ありがとう」とかも。

マイナビに私の半生が掲載された内容を読んだのも大きかったと思う。


子どもって、親が子を思うよりも純粋に親が好きなんだ。
だから絶望も深い。


そんな子どもだった私だけど、ようやく両親との愛情のつながりを感じることができた。お互いとりあえず健康で頭がはっきりしてるうちにわかりあうことができて幸せである。

生まれ変わってもあなたたちと親子でいたい。

母の日の今日、ついでに個人的には還暦を迎えた。赤子に還って生まれ変わる私なのだ。


東京日野市で、「誰でも」「無料で」「アートを介して」「自分らしく自由にいられる」月一回の居場所活動をしています。ご興味ある方はFacebook、keyluck_doまでメッセージを。良かったらサポート頂けると嬉しいです。