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【首斬り朝】私的セレクション/斬之四十四「首の道」

#マンガ感想文 #小池一夫 #小島剛夕 #時代劇画 #三代目山田浅右衛門 #男女の縁 #私の哲学書

1736年(元文元年)~1874年(明治8年)からの138年間に渡って、日本の「死刑」は斬首刑であった。死刑執行人は、罪人の死体、ときには生き試しと呼ばれる生きた罪人の身を使っての刀剣の試し斬りを行う、幕府の御様御用(おためしごよう)の役職にあった山田家の歴代当主達によって、明治維新以降、斬首刑が廃止される8代目まで引き継がれた。

2020年現在、世界で公式な刑罰としての死刑に斬首刑が執行されているのは、イスラム法に則ったサウジアラビアのみ。フランスのギロチンは公開処刑でこそなくなったものの、なんと1981年、わずか39年前まで行なわれていた。(現在、フランスは死刑廃止)

本作での主人公の山田浅右衛門は、3代目山田浅右衛門吉継(作中での表記は朝右衛門)。 第1話から最終話まですべて1話完結式で、罪人達が斬首刑に至るまでのいきさつと、朝右衛門とのやり取りが、ペンもスクリーントーンも一切使われない、筆のみで執筆された流麗な筆致で描かれる。

ある赤提灯の店に4人の男女が集まり、酒を酌み交わしている。お酌をするのはお紺という妙齢の艶っぽい女、老いて尚お盛んなご隠居、大工の留五郎、町人の男(名前は出て来ない)という面々である。

その時、お紺の髪から銀の平打ち簪がぽとりと落ち、それを町人の男が拾い上げ、お紺に渡そうとしたが、男はその細工の見事さに目を見張る。ご隠居は眼鏡をかけ、その細工の緻密さに見入り、

「う~~~む/これはすばらしい」

と感嘆する。お紺は何とはなしに、 

「それ/佐吉さんにこしらえてもらったんですけどね/いい腕でしょう」

と口にする。奇遇にも佐吉と留五郎と男は同い年で幼なじみであり、佐吉は今では江戸で5本の指に入るかざり職人であることが語られる。

しかし佐吉は三十一歳になった今も独身であり、過去に留五郎と男が嫁の世話をしてやろうと思ったことはあるが、彼らいわく、

「なにしろチンチクリンでしょう。いえね、チビだけならまだいいんですがね、あの野郎妙に自信家でねえ、うぬぼれの強いところがあるんで」

「てめえより良い男はいねえぐらいに思ってやすからね」

と、留五郎が言葉を次ぐと、ご隠居はプッと吹き出し、

「まさかそれほどでは」

と、お紺も声を出さずに笑う。

女性は二十歳で年増と言われた江戸時代に三十一歳で未婚というのは、行き遅れならぬ、完全な「貰い遅れ」である。

そこへ、ご隠居が見合い話を持ちかける。昨年の暮れに母親を亡くして以来一人暮らし、布袋長屋に住む、針仕事を生業にしているお咲という女だ。しかしそのお咲もまた、年増の二十一、二歳にしていまだ未婚、しかも醜女だという。あけすけなやり取りだが、江戸っ子の町人の酒の場での会話ならこんなものだろう。酔いも手伝って、4人による佐吉とお咲の見合いのお膳立てがその場で計画された。

しかしその見合いは格式ばったものではなく、

『それは誰かがそばに居るような形式では、たがいにしっかり者同士のこと/かえって気まずくなりはしないかとの配慮から/とにかくふたりっきりで会わせてみようという』

ということに、場所は感応寺前のいろは茶屋で七ツ刻(午後4時)と。

そして佐吉の元には留五郎が、お咲の元には男が、半ば説得するような形で話を持って行く。

留五郎は佐吉に、男はお咲に言う。

「どうでえとにかく会ってみちゃあ/おめえがよ/ひとりで行って会ってくるんだ/先方(むこう)もひとりで来るからよ」

「なあお咲さん/その佐吉はひとりで出かけてくるんだ/おれもご隠居も行きゃあしねえ/おたがい顔は知らねえんだからもし気に入らなかったらそっと帰って来りゃあいいんだよ」

男はお咲に助言する。

「これなら断るも何もねえ/どこにも角は立たなねえんだからさ」

同じ頃、留五郎は佐吉に念を押した。

「なあ/これなら相手の娘さんを傷つけることにはならねえだろう/おたがい顔は知らねえんだから」

刻を同じくして、互いに無言で平打ちを続けていた佐吉の手が、縫い物をする針を進めていたお咲の手が止まった。そして数日後、佐吉とお咲は指定の刻にいろは茶屋に向かった。

『その場所と日柄とそして刻限がまことに悪かった/夏祭りの当日にかち当たり/感応寺のいろは茶屋は普段の静けさはどこへやら/ひきもきらぬ人出だったのである』

『ーーさらに悪かったことは仲に立った連中が佐吉にもお咲にもたがいに《似合い》だと云いおきしことである』

感応寺前のいろは茶屋は、江戸時代の一大デートスポットである。そんな場所に三十歳を過ぎても嫁の貰い手のない不器用な男と、行き遅れで容姿に難のある女を行かせるというのは、あまりにハードルが高過ぎたのだ。

ふたりはいろは茶屋の長椅子に腰掛けながら、顔も知らない見合い相手が現れるのを待つが、実はふたりは向かい合う形ですでに出会っていた。しかし、日が暮れて夜もとっぷり過ぎても、それらしき相手が現れない。その時、佐吉とお咲はようやく気づいた。誰かに延々と待ちぼうけを喰らわされている向かいにいる男こそ、女こそ、紹介された相手ではないのかと。

(ま、まさか……)          (も、もしやあの人が……)

しかし、佐吉もお咲も互いに心中で相手の存在を否定する。

(あんな……これまですすめられたどんな縁談の相手だって……あれほどじゃあなかったわ)  (ふン/冗談じゃねえぜあんなちんくしゃ)

と、佐吉とお咲は心の中で目の前の男を、女を蔑み合う。

やがていろは茶屋は店仕舞いの刻限となり、佐吉とお咲は帰らざるを得なくなる。

帰り際、佐吉とお咲は心の中でついぞ出会えなかった相手に思いを馳せる。三十歳を過ぎても嫁の貰い手がない男、自分の容姿が人より劣っていると自覚している女の、自虐的な結論にたどり着いて。

(留の野郎はおれにはその女のこたあ何ひとつ教えちゃあくれなかったが……女の方はおれのことをあれこれ聞かされてるってえこともありえる……/考えやがったなあ/これじゃあ断っても断わられても双方に傷がつかねえ)

(その人きっとここへ約束どおりに来たに違いないわ/そしてあたしのことを見て行ったにちがいない/そうだわ)

佐吉とお咲は無言で笑顔を交わし、ふたりは別れる。

帰り道、佐吉は後で人を介して、お咲は仲人を立てて相手から何か云ってくるかも知れない、と思いながら帰路に着く。佐吉はお咲の笑顔を思い浮かべ、

(笑うと可愛いかったな/あの女/あんな純で気の良さそうな女を待たせちゃあいけねえなあ)

と、お咲を思い、お咲は佐吉に対し、

(あんな実直で気のよさそうな人を待たせるなんて……)

と、男を待たせ続けた相手の女に対し、不快感を持つ。まさかその女が自分自身であることになど、微塵も気づかず。

それから間もなく、お見合い話を計画した4人は同じ酒場で見合いの結果報告をし合っている。佐吉もお咲も指定された刻限にいろは茶屋に行ったと言っているが、ふたり揃って相手に会えなかったというばかりで、どうにも要領を得ない。佐吉はお咲の、お咲は佐吉の面影を思い浮かべながら長屋で地道な仕事に勤しむ日々に戻っている。

「縁がなかったんじゃな」

残念だな、という意味合いを含んだご隠居の沈みがちな一声でその場は収まったが、物語はそこで終わらない。

ーー陽炎が立っているのは真夏の昼の炎天下だからだろうか。佐吉の身は、伝馬町牢屋敷の土壇場にあった。

浅右衛門は斬首にされる寸前の佐吉に問う、申し残すことはないか、と。

「首という字にしんにゅうをつけりゃあ/道という字ななりやすでしょう」

「それがどうした」

「男ってなあ/生まれたときから首の道を歩きつづけてるもんだって気がするんで/生きるってことに生命(いのち)がけで歩いてるんだってねえ」

「しかし首だげじゃあ道にならねえし/歩くことも出来やしねえ/だから首を支えるしんにゅうが必要だ……」

「このしんにゅうが(男にとっての)女というものでござんしょうかねえ」

「自分の首に釣り合ったしんにゅうの女と添いとげることができりゃあ/大往生とげることもできやしょうが……」

「なにしろあっしの場合は首の方からしんにゅうを外しちまったんでやすからねえ/ふふふふ/ふひひひひひ/ひひひひ」

面紙(へらがみ)を着けられた佐吉の笑い声は、精神に異常をきたしてのものではない。自分の不器用な人生を振り返っての、自虐と自嘲だ。

「あっしにもねえ/釣り合ったしんにゅうの女が……できかかったことがありやした……」

朝右衛門は、無言で佐吉の一人語りに耳を傾ける。

「(自分に)分相応な女でねえ……『笑うと可愛い……』」

その女とは、お咲のことだった。

「いつでもあっしの眼の裏からはなれやあしねえ……あの女と一緒になって居さえすりゃあ……/ひひひひひひひひひひ」

「そ、それができなかったんで……さあ」

「ど、どうしても……ひひひひひ/ひひひひ」

朝右衛門は、佐吉の首を斬首した。その首はひ ひ ひ と、断末魔の涙を流しながら、宙に舞った。

ーー例の赤提灯の店で、お紺が朝右衛門と、師弟的存在にして北町奉行所の若き同心、坂根傘次郎に茶を出し、佐吉が斬首に処された一部始終を聞き終えた。

「あたしたちがいけなかったのかもしれませんねえ」

と、お紺は佐吉が拵えた平打ちの簪を手に取る。

しかし普通のお見合いの形を取ってふたりを会わせていたら、縁談は成立しなかっただろう。しかし佐吉が首を討たれるようなことにならなかったと思えば……やはりその方が(破談になった方がずっとましだった?)……。

そしてお紺はとつとつと語る。

「佐吉さんは日ならずして気づいたと思うんです/そのお咲さんこそが自分の(見合い)相手だったということに」

「いまになってあたしにはわかるような気がするんです/仲に立った人たちはもうこの話は流れて縁がなかったと思いこんでますから/なるべくふれたがらない」

「逆に佐吉さんとしては何とかその話を持ち出してもらいたいと思ってる/でも自分の方からは意地でも切り出せないし/直接お咲さんのところへ出かけるわけにもいかない/そうなるとお咲さんへの想いはつのるばかり」

「思うことを口に出せないほどつらく腹立たしいことはありませんからねえ」

「留五郎さんはあんな醜女だとは知らなかったものだからとか/なぐさめのつもりでいろいろ云ったりしたものだから」

ーーそれがきっかけで佐吉は酒びたりになり、挙げ句の果てに酒場で客を殺めたと、そういうわけだった。

「なるほどな/そんな事情(うら)があったのかい/やっとわかったぜえ」

と、傘次郎は取り調べの際に黙りこくっていた佐吉の事情をようやく理解する。

朝右衛門はお紺に問う。そのお咲さんとやらははどうしているのかと。お紺は(佐吉が斬首されたことすら)何も知らないでしょうよ、と答える。

「首の道……か……」

朝右衛門、傘次郎、お紺の間に重苦しい沈黙が流れる。

その頃お咲は、針仕事に勤しむ手を休め、名も知らない佐吉の笑顔をひとり思い起こし、幸せそうに微笑を浮かべていたーー。

お咲は恐らく、あのとき自分に笑顔を向けてくれた佐吉への想いを胸に秘め、生き続けて行くつもりだろう。

それはあまりに遅過ぎたお咲の初恋にして、最初で最後の恋愛だったのではなかったかーー?

©️小池書院/道草文庫全⑩巻/電子書籍あり










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