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【子連れ狼】私的セレクション/其之九十二「苦労鍬後生買い」

#マンガ感想文 #小池一夫 #小島剛夕 #不朽の名作 #尊厳ある死

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く死に死に死に死んで死の終わりに冥し    ーー「秘蔵宝論」弘法大師空海

背の低い梅林の中、幹にもたれてうたた寝をする老人がひとり。その左顔には深く古い刀傷。梅林の先には、合掌造りの家屋がある。屋敷の中では老人がふたり、縁台にあぐらをかき、碁を打っている。黒い碁石を持った老人の右顔には、これまた古い刀傷がある。       

井戸で水を汲む老人は右足の膝から下が欠損しており、右腋に松葉杖を抱えて桶を持って歩き、右の裾は膝丈で切られ、無造作に結ばれている。

家屋の中の土間の台所では、老婆が米の研ぎ汁を流している。

コク……と船を漕ぐ梅林の中の老人の額目がけ、一本の小束が飛んでくる。しかし小束は幹に刺さり、老人は高く伸びた梅の枝に手をかけて飛び上がり、小束の急襲から素早く身を交わしていた。

縁台であぐらをかき、碁を打っていた老人ふたりには杖が投げつけられるが、杖が打ったのは碁盤のみ。ふたりは軒先の屋根瓦に飛び移っていた。

老婆は異様な気配を感じ取り、米を研ぐ手を止めた。井戸から水を汲んできた片足の老人は桶と松葉杖を残し、同じく屋根瓦の軒先に飛び移る。

「ご支配さまか/おひさしう……」

5人の老人達の前に現れたのは、十数年ぶりに再会した裏柳生総帥、柳生烈堂であった。

縁側に腰かけた烈堂の前に、5人の老人達は深々と頭(こうべ)を垂れている。烈堂はまず、梅林の中にいた老人に声をかける。

梅林で小束を避けた老人は平(ひら)、碁を打っていた老人ふたりのうち、白石が可(べく)、黒石の刀傷の老人は根次(ねじ)、片足の老人は尾太(おた)、そして紅一点の老婆の名はトネ。

尾太は唐突に、烈堂に対し「天庭の骨起にくもりあり(=眉間に皺が寄っている)/余程の心配事がおありなさるようじゃな/ご支配さま」

と、指摘する。それに対し烈堂は、

「わかるか/この苦労鍬の里で余生を送ることのできる黒鍬者は一人も居らぬようになってしもうたわ」              「かつて黒鍬者であったうぬらの他にはな」

烈堂は語る。本妻との間の3人の息子、備前、蔵人、軍兵衛、さらに柳生一門の別派にあたる喰代(ほおじろ)柳生の頭領にして、妾腹の子である庄兵衛、鞘香の兄妹までもが死んだと。

「いまの柳生には表も裏もなくこのわしただひとり/そのわしとて余命いくばくもあるまい」

トネが茶をつぎ、屋敷の中で5人の老人達は烈堂からこれまでのいきさつを聞かされる。本妻の3人の息子達、妾腹の兄妹は全員拝一刀と対峙して殺され、自身も一刀の手によって隻眼となったことを。

平、可、根次、尾太、トネは神妙な面持ちでその話に聞き入る。やがて夜は更け、囲炉裏を囲んで鍋の汁物を口にしながら、5人の老人達は烈堂の話をすべて聞き終えた。

鍋が囲炉裏から外され、火種の焚き火が燃え尽きようとする中、烈堂はようやく切り出した。

「黒鍬この世になく/柳生はわしひとり/さればうぬら五人の手が借りたい/いまだかつて破れたことのない車剣のうぬらの腕を」   「その腕/わしのためにいま一度役立ててはくれぬか」

しばしの沈黙の後、平は言った。

「お断り申す」

立て続けに、平が言葉を重ねる。

「わしらは一生を黒鍬にささげ/明日という日のない忍び暮らしで/血の海/白刃地獄を生きてまいりましたぞな/妻も娶取らず無論子も作らず/己が身一つで今日は北陸/明日は上方と/他国の空で死に神と寝起きを共にして五十年」

尾太が言葉を次ぐ。

「五十年経てば黒鍬の掟でやっとその任を解かれ/いままでの苦労を報いられて/苦労鍬の里で余生を送らせてもらえる」

平がまたいう、

「わしらはやっとその権利をもらえましたのじゃ/わしらはわしらの手で後生を買いましたのじゃ」

根次が断言する。

「いかにご支配さまとは申せ掟は掟/わしらに命ずることは最早できませぬぞ」

ーー老人達が住む苦労鍬の里とは、いわば現代の特養老人ホームのような場所であった。それも命がけの任務をすべて遂行し、定年に当たる50年目まで生き延びることが出来たごくごくわずかな黒鍬者だけが、余生ーー後生を送ることの出来る、特権中の特権の場だ。

「ご支配さま/わしらは最早忍びではございませぬ/老いさらばえたる一介の世捨人」

「左様/ただの年寄りですじゃ」

尾太の言葉に平が同意するが、生き駒をすべて失い、もはやなりふりかまってなどいられない烈堂は激昂し、それを許さなかった。

ーー翌日、5人は編笠やほっかむりをし、ごくわずかな荷物を背負い、苦労鍬屋敷を発つ。

5人は大五郎を箱車に乗せ、岸辺を進む拝父子の元にたどり着き、遠巻きに様子を伺う。

1人目は、平。しかし岩場の陰から大五郎を見るその顔は、好々爺そのものだった。    2人目は、漁師に化けた可。かたわらの魚籠には既に数匹の魚が入っており、大五郎がそれを覗き込むと、うまい具合に魚が釣り上げられた。無邪気に拍手をする大五郎に、可も穏やかな笑顔を向けた。                   3人目は、根次。砂の中に潜り込む術を使い、拝父子が並んで握り飯を食べている場に出くわす。大五郎がうっかり握り飯を落としてしまい、砂だらけになってしまった握り飯をしぶしぶあきらめる様を、根次もまた微笑ましく見ていた。                   4人目、尾太。ほっかむりをし、岸辺を歩くその左足には、棒切れで出来た偽の義足が着けられている。偽の義足を波に漬かった砂浜にわざと取られたふりをし、松葉杖を手離して転びかけたその身を、一刀が素早く支えた。手離してしまった松葉杖を大五郎に渡され、無言で去って行くふたりに、尾太はありがとうございやす、と声をかけた。                   5人目はトネ。松林を進む拝父子を、昔取った杵柄で、両足首を松の枝に絡めて様子を伺っていると、大五郎のくしゃみに、欠けた歯を見せて、思わず笑顔を見せた。

ーー5人の老忍達は、大波が押し寄せる岩壁の上に集っていた。5人の推測では、大五郎を背に抱えた一刀に5人がかりで挑んだとて結果は五分と五分、一刀と大五郎も死に、自分達も全員死に、相討ちに終わるだろうと。

ふと、平が口にした。

「わしらに子があれば……」

「あの男ぐらい(の齢)じゃのう」

根次が返す。

「孫がおらば……」

トネのつぶやきに、尾太が、可がつぶやく。

「孫か……」

「可愛いのう!あの孫は……」

「わしらはこれから何年生きるかの」   「一年か二年/保(も)って五年かいの」

次の場面では、5人が手に手を取り合い、岸辺から海中へ、さらに沖へと向かって行く姿が描かれる。彼らは初めて主の命に背き、忍びではなくただの老人としての死を、自ら選んだのだ。                  この話の初読時、私はまだ20代だった。当時は今いちピンと来なかったが、四十路を過ぎて改めて読み直してみると、平、可、根次、尾太、トネ達の、

「せめて死ぬときは人間らしく」     「死に方だけでも自分の意志で」

という切なる願いが、嫌でも伝わって来てしまった。そう思えるようになっただけ、自分はそれなりにいい意味で年を重ねられたかな、と思う。

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