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【黒衣のヴィーナス】第1話「ネットアイドル」YouTuber登場以前に描かれたネットの虚像と闇を描いた物語

#マンガ感想文 #森園みるく #村崎百郎 #ネットアイドル #YouTuber

小学生が将来なりたい職業のランキング上位に入るほど、YouTuberという言葉が世間に浸透した今の世の中。はなからYouTuberとして活動を始め、そこから活動の場をテレビに移し一躍時の芸能人にのし上がった者達もいれば、それとは対照的に、つい先日までテレビで毎日のように顔を観せていた芸能人が慢心から不祥事を起こしたがために、半ば都落ちのようにYouTuberに転向せざるを得なくなったケースなど、私の視点からすると、YouTuberという職業はまるで芸能界の光と闇を両極端に現しているような、表裏一体の存在に思える。

私はYouTubeで色々動画は観るものの、個人的にYouTuberにはまったく興味はない。だからと言ってアンチでもなければ特定のファンもいない、あくまで中立の立場だ。

ーー「もう我慢できないわ!」

無数の人々が行き交う夜の繁華街で、叫び声が上がり、群衆が一斉に振り返る。

「何よあんたたちホントに生きてんの!馬鹿みたいに幸せそうなツラさげて歩いてるんじゃないわよ!」

「ここにいて生きてるのよ~!あたしはここにいるわ!」

黒地に千鳥格子のワンピースを着たOL風の女が叫んでいる。女を囲む群衆は酔っぱらいか?とざわつき、なおも喚く女がふたりの警察官に取り押さえられようとしたそのとき、思わぬ助けが入った。

「すみません/彼女は私の連れなんです」「少々深く酔ってしまったようで」

声の主に、まだ若い男性警察官は驚愕した。真っ白な肌、腰まで伸びた長い艶やかな黒髪、紅い唇ーーさらに上半身は豊かな乳房を剥き出しにし、恐ろしく均整の取れた肢体に、露出の高い黒いパーティードレス風の衣装をまとった妖艶な女だった。

千鳥格子のワンピースの女は何故か友人を装った黒衣の女に連れられ、喫茶店に入る。テーブルを挟んで席で向かい合ったOLは見ず知らずの女に敵意を剥き出しにするが、その女がかけた一言で、状況は一転する。

「貴女は他人よりも正直なんでしょう/道の真んなかで叫びださずにはいられないくらいに」

「…………」

「よければ話してみない?私はそういう正直な人の悩みを聞いて力になるのが趣味なのよ」

あまりにもストレートに図星を突かれると、人間、本性を露にせざるを得なくなるものなのか、黒衣の女ーー魔夜(まや)がそう切り出すや否や、OL、内田小夜子(さよこ)は堰を切ったように語り出した。

「あたしはもうずっと前からすべてが我慢できないくらいたまらないの!」       「それも具体的に耐えがたいものがあるわけじゃないのよ」

と。

ーー中流以上の家庭に生まれて何不自由なく育ち、大学を出て一流企業に就職。他人から見れば順調そのものに見える人生。仕事も順調、何でも言うことを聞いてくれる優しい恋人もおり、それとは別にたまに不倫をする上司もいる。上司との不倫関係も分別をわきまえた“大人の付き合い”だから何の問題も不満もない。  ……でもときどき、そういうのが何だかすべてどうしようもなくたまらない、不幸を抱えている人から見るともの凄く贅沢な悩みよね、と、小夜子は煙草を喫いながら語る。

不幸じゃないのにとっても不幸な気分、いつもそこそこ楽しいのにそのことが突然耐えがたいほどつらく感じる。そして突然、さっきのように叫びだしたい衝動にかられる。

「漠然とした不安という言葉があるけど/私の場合は漠然とした不満かな」

小夜子は苛立ちながら煙草をひねり潰し、大声で怒鳴る。

「何かに対して耐えがたく思ってるんだけどそれが何かはわからない/わかっているのはこのままでは確実にあたしが壊れてしまうってことだけよ!」

ホントに馬鹿みたいよね、あたしはどうすればいいんだろう?、と呟いた小夜子に、魔夜は意外な言葉をかける。

「そんなに悲観することないわよ/あなたはとても面白いわ!」

魔夜は小夜子に語りかける。貴方が持っている“幸福”は、本当に自分が心の底から望んで決めた幸福だったか?と。

「他人の目から見て幸福そうに見えることが幸福なんじゃないわ/自分で心の底から幸福だと思える状態になることが幸福なのよ」   「だったらあたしはすごく不幸だわ/自分じゃちっとも楽しくないもの」

ーーだからそこでひずみが生まれて叫びたくなるのよ、貴女はちっとも変じゃないわ、と魔夜がいうと、小夜子は戸惑いながらも自分の本音を受け入れる。

「貴女はまだ自分自身の奥底に潜む才能と可能性を使い尽くしていないわ」

私にその役目を任せてくれない? と、魔夜は小夜子に提案する。

「私なら貴女のなかに眠っているものすべてを目覚めさせることができるわ」

ーーこうして小夜子は、魔夜に自分の運命を預けることとなった。

そして魔夜は、何故か小夜子に“ネットアイドル”になることを提案する。                  ネットアイドルーーインターネットに自分で公式のHPを作り、そこに自分の写真やブログを公開したりする自主制作アイドル。初出が2000年と、21年も前の作品なので、現在では完全に廃れてしまっているが、YouTuberが登場する以前には、こういった存在がたくさんいた。

ネットアイドルになるのは貴女が新しい自分を作るための練習に最適な作業だわ、と魔夜はいうが、小夜子は既にアラサー。アイドルを名乗るには歳を取り過ぎていないかと尋ねるが、ネットアイドルには10代の若い娘だけではなく、子持ちの主婦やニューハーフまでいると教える。

ネットという仮想世界を舞台にした、架空のアイドル活動。そこに名前から容姿まで、本当に心の底からこうありたいと願う自分自身の理想像を一から作れる、写真だって、いくらでもパソコンで加工出来る。           そして魔夜は、自分で作成した画像のサンプルを1枚手渡す。それはいくつもの星のような煌めきを背景に、裸体の背中に天使の翼を生やし、加工によって美化された小夜子の画像だった。

その画像を一目見て気に入った小夜子は、魔夜から即座に使用許可をもらい、魔夜はさらに天使でも悪魔でも好きなように加工してあげる、という。そのうえ、最初は私がやってあげるけど、簡単だから慣れたら自分でやるのよ、パソコンは私が使っているのをあげるわ、とまで申し出た。

「ありがとう/でも魔夜はどうしてあたしにこんなに親切にしてくれるの?」

と、小夜子は尋ねる。確かに、自ら協力を申し出たとはいえ、魔夜の行いはあまりにサービスが行き届き過ぎている。魔夜の答えは、

「……それは貴女が本当の自分を見つけたときに教えてあげるわ」

とだけいい、フ、と微笑んだ。

ーーそして魔夜は何故か、小夜子に護身術の専属コーチを紹介する。それもただの格闘技経験者や武道、武術の達人のレベルではない、なんと傭兵として世界中の紛争地帯で闘ってきた戦闘のプロ、ホワイト氏。外見からするとヨーロッパ系の白人男性で、下半身は迷彩服にブーツ、黒いTシャツから突き出た両腕は筋骨隆々として、服の上からもわかるほど盛り上がった分厚い胸板、サングラスをかけた顔には彼のこれまでの歴戦を物語るような、長い×状の無数の傷が深く刻まれている。

彼の指導は激しいけど確実に強くなれるわ、と、魔夜のお墨付きだ。

ネットアイドルと護身術。いったいどこがどう繋がるのかさっぱりわからないが、魔夜は小夜子にいう。生まれ変わるには身体的な訓練は絶対必要よ、と。

「激しい特訓で身体を鍛えて細胞の隅々まで喝を入れるの/美容と健康にもいいから一石二鳥よ」

そしてランニングを手始めに、小夜子の特訓は開始された。

ーー3週間後、魔夜の協力もあって小夜子はやっと自分のHPを立ち上げた。サイト名は、

【聖女リリスの愛の部屋】

トップ画面は月と星空を背景にした、天使の姿の小夜子ーーこと、芸名リリスの画像。HPの内容はプロフィール、写真、ブログ、BBSである。

芸名は語感がきれいだから何となく“リリス”に決めたというが、その名が悪魔の王妃の名であることを、小夜子は知らない。

リリスはあたしより短気で激しい性格なの、と魔夜に語りながら、自分ひとりでも加工できるようになった、天使をモチーフにした自分の加工画像を見せる。

天使に限らずたまには悪魔みたいなのもいいかも、という魔夜の一言に、小夜子はその案を受け入れる。そしてブログの内容は、完全な創作である。2泊3日の香港の旅、デザイナーとの話し合いなど。小夜子はその作業を作家になったようで楽しいと語るが、魔夜はくれぐれも慎重にね、とアドバイスをする。

後は貴女の努力次第だから頑張ってね、と魔夜が小夜子の肩を指先で軽く叩くと、小夜子はひどく痛がった。

「あらごめんなさい/ひょっとして筋肉痛?」

謝罪する魔夜の指摘通りだった。ホワイト先生の訓練はとても厳しいの、と訴える小夜子だが、嫌がったり止めたがる気配はまったくない。それどころか、

「何となく野性に目覚めそうな気分よ」   「自分が“生きている動物”であることを思いだしつつあるってわけね」          魔夜の指摘に、小夜子は素直に答えた。

ーーそれからさらに3ヶ月後。小夜子のHPは確実にファンを増やし、1日に数百件を越えるようになっていた。一般には1日100件のアクセスがあればメジャーなネットアイドルと認定されるため、多い日では700件という小夜子は、今やれっきとしたネットアイドルの仲間入りを果たしている。しかし、有名になりファンも増える一方で、“やらせろ” “ブス死ね!”というメールも増え始めていたが、小夜子はちゃんとしたファンからのメールも来るため、まったく気にならないという。            その一方で、護身術の特訓はさらなる激しさを増していた。ナイフを持った相手と闘う方法まで習ったと笑い、小夜子は魔夜との電話を切った。

既に毎日の日課となった、メールチェックを始める小夜子。一通目のメールは丁寧な文章で綴られたファンからのメールで、その内容は、最近、リリスに暗い闇のイメージが増えてきたように感じること、ブログにも暴力的な描写が増えたことを指摘するものだった。

それはまさしく、「貴女は天使なのか悪魔なのか?」という問いかけで、小夜子自身にも心当たりはあったが、それは堕天使や悪魔のイメージで加工した写真を紹介しているからだと思ったが、次に見たメールは、

やらせろやらせろやらせろやらせろやらせろやらせろやらせろやらせろやらせろやらせろやらせろ、という文章のみが羅列した嫌がらせのメールだった。その瞬間、小夜子は思わず激昂し、

「またこいつか!いつか道で会ったらブッ殺してやるわ!」

と口にした直後、そういえば最近ちょっと暴力的かも……と、ハッとした。

ーーさらに半年後。護身術の特訓を重ねた小夜子は飛躍的に逞しくなっていた。傭兵であるホワイト先生と一対一の取り組み稽古で、小夜子はホワイト先生を仰向けに倒し、その直後に手刀を彼の喉元に突きつけた。

「OKだ/そのタイミングを忘れるな」

訓練の最終テストなのだろうか、一部始終を見守っていたらしき魔夜が小夜子に拍手を送る。ホワイト先生から、並の男が相手なら充分、対等以上に闘えるだろうと認定される。

小夜子はその言葉に、これも教官のおかげですと礼を述べるが、ホワイト先生は、

「それは違う、君にも元々素質があった/君が男なら恐ろしく優秀な兵士になっていだだろう」

という、賞賛の言葉をかけた。

やがて、小夜子のサイトは1日平均5千件のアクセスを越えた。しかし有名税というものか、小夜子は日常生活のあちこちにストーカーの影と気配を感じるようになっていた。ストーカーがついたら一人前のアイドルよ、と忍び笑う魔夜は、小夜子に忠告する。

「だけど/貴女にとってはここからが本当に大切な時期だから気を抜いちゃ駄目よ」

「【もうすぐ貴女は本当の自分を思いだすことになるでしょう】」

電話越しの魔夜の言葉に、小夜子はどういうこと?と尋ねるが、返ってきたのは、

「…………もうすぐわかるわ」

だけだった。

数日後、夜遅くの帰宅。小夜子はまったく人通りのない夜道で、背後に迫る気配にひどく怯えていた。ヒールを履いた足でオートロック式の自宅マンションに入る寸前で、小夜子は背後から何者かに襲いかかられ、意識を奪う効能のある薬液を染み込ませた布で、口を塞がれた。

次に小夜子が意識を取り戻したその瞬間、小夜子はリリスのストーカーである、とてつもなく醜悪な容姿の男に上半身を緊縛され、倉庫の中に監禁されていた。

若くして既にメタボ体型、腹がでっぷりとせり出した長髪の醜悪な男は、全裸になり、小夜子の体の匂いを嗅ぎながら、口端からよだれを垂らしつつ、自慰を始める。悲鳴を上げながら、来るはずのない助けを求める声を上げるしかない小夜子だったが、半年間に渡る傭兵仕込みの護身術は伊達ではなかった。

(いいかい小夜子/どんな状況でも焦ってはいけない/諦めないで冷静にきりぬけることを考えるんだ)

ホワイト先生の言葉が、脳裏によみがえる。その直後、小夜子は嗚咽をもらし、大粒の涙を流し出した。

それは歓喜の涙かとからかい半分に尋ねたストーカーは、小夜子から思いがけない言葉を返される。

ネット上ではさんざん強がっていたが、自分は本当はもの凄いマゾであり、真性のM女。いつかこんな風に誰かにさらわれて凌辱されることを心の底から望んでいたの!と。

あまりに予想外の展開に、ストーカーは、歓喜を露にする。

「だからお願い/こんなヤワな縛り方じゃイヤ!もっときつく縛って!/もっとみっともない格好にしてあたしをうんと辱しめてェ~!」

小夜子の卑猥な懇願に、ストーカーは思わず気を緩め、無意識にナイフを手離した。そして小夜子を緊縛していた縄を、小夜子を凌辱するための新たな道具に変えるべく、彼女の乳房を絞り出すように上半身を緊縛していた縄をほどき終えた、その瞬間だった。

一瞬の隙もなく、ストーカーが手離したナイフを奪った小夜子は、流れるように鮮やかな仕草で、さらりとストーカーの喉をかき切った。ほとんど自分の身に何が起こったのかわからないまま、ストーカーは喉から鮮血を噴き出し、その醜く肥え太った裸体が、倉庫の床に仰向けにどっと倒れた。

喉元が血にまみれた死体を、血まみれのナイフを血まみれの掌で握り締めながら、小夜子はついに【覚醒】した。

ーーああ 何てことなの!何という快感なのかしら!

「これよ!この感覚よ!」

この快感と快楽こそが私の求めていたものなんだわ!と。

「お見事だったわ小夜子さん」

そこへ、魔夜が拍手をしながら唐突に現れた。SPらしき黒服の3人の男達を背後に従えて。

どうしてここに!と驚く魔夜は笑顔を浮かべ、

「万が一のことを考えて貴女の後をつけて来たけど/手助けする必要はなかったわね」

魔夜は振り返り、無言で3人の男達に退室を促す。                  

「………そうか/そうなのね/今わかったわ」

ここでようやく、点と線が繋がった。ネットアイドルと護身術という、何の関連もなさそうなふたつの事象。それは、

「ネットアイドルをやらせたのも護身術の訓練を受けさせたのも/すべてはあたしにこの快楽を感じさせるためだったのね!」     「最後の選択は貴女次第だったのよ/あの男にいたぶられて殺されるという道もあったんだから」

あくまでも冷静な魔夜の言葉に、小夜子は断言した。

「あたしは100回同じ目に遭っても/そんな道は絶対に選らばないわ!」        「そうでしょうね」

何故、魔夜も小夜子もすぐ近くに惨殺体が転がっているのに、こうも平然としていられるのか。それはーー、

「あなたには本当に感謝するわ/あたしの本性が快楽殺人鬼だと気づかせてくれたんだから!」

「それにしても本当によくできた計画ね/あなたは天才だわ」            「あたしは今後もネットアイドルを続け/多くのファンを獲得し/そのなかでまとわりついてくる変態ストーカーをひとりずつ趣味で殺して楽しめばいいんでしょう?」       「そうよ」              「相手はどうせ生きていても社会の迷惑にしかならない犯罪者のクズどもばかりだものね」                 「そうよ」              「その結果/私は社会の役に立ちながら/充実した人生を送れるってワケね」      「そうよ」    

饒舌な小夜子に対し、魔夜の返答は義務的で淡々としている。

「ありがとう/せいぜい捕まらないように上手くやるわ!」

ク、と不敵な笑みを浮かべ、小夜子は魔夜に宣言した。その直後、

「あれっおかしいな/何だかゾクゾクしてきちゃった」

スカートの上から疼く股関を押さえ、小夜子はふたつ折りのガラケーを開き(作品初出当時の2001年はこれが普通)、「ああもうたまんない」と顔を紅潮させながら、恋人に電話をかける。

「もしもし新一さん/あたしよ小夜子よ/何だかとっても身体が火照るの/今から貴方のマンションに行くわ!」

電話口の恋人、新一がどう答えたかはわからないが、小夜子は一方的にそう告げて、電話を切る。

「これも殺人効果かな/殺しの後に発情するなんてまるでハンターみたいね」

カッ、とヒールを鳴らして恋人の元に向かおうとする小夜子が、そのときいちばん重要かつ肝心な質問を魔夜にした。

「そういえば魔夜があたしに親切にしてくれた理由っていったい何だったの?」

「……退屈していたからよ」       「それだけ?」

小夜子は本当にそれだけ?意外過ぎる、という驚きの表情を魔夜に向けた。

「心の奥底で何も感じられないからこそ/感じられる何かを持っている貴女のような人が羨ましいんだわ……/私のなかには貴女が持っているような激しいものが何ひとつないの」

無表情かつ冷淡に告げた魔夜の本音というべきか、本性かーーに、小夜子はさほど興味もなさそうに、

「そう……よくはわからないけどいろいろありがとうね」

と礼をいい、恋人の元へ向かうべく、魔夜に背を向けて夜の街中へ去って行く。小夜子の表情はわからないまま。

魔夜の心と退屈を満たす次なる標的はどこの誰なのか、それは魔夜本人にすらわからないだろう。

©️双葉文庫名作シリーズ/電子書籍あり












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