健常者と障害者、障害者と障害者の相互理解
私は鬱病の精神疾患だ。おまけにアスペルガーの発達障害(ASD)で不安障害で自律神経失調症でPTSDで障害者手帳3級で、毎日数種類の抗うつ剤と向精神薬に加えて漢方薬も服用し、眠剤なしでは一睡も出来ない。この生活習慣を死ぬまで続けなければいけない。
最近メディア等で「障害者」を「障がい者」「障碍者」と記述されることが多くなっているが、私も含めそのどちらも、当時者達には大多数が不評である。ちなみに「碍」という字は『妨げる』の意味だ。
2000年からテレビ放送が33年振りに再開され、平成から令和になった現在も続く仮面ライダーシリーズも、昭和では主人公が悪の組織によって身体改造されて改造人間となり変身能力を得た設定が主だったが、平成ライダー第一作の「仮面ライダークウガ」よりその設定はNGとされた。事故やケガによる身体欠損で義手や義足を身に付けた後天的身体障害者への配慮からだという。そんな(個人的には的外れな)配慮はなされる割に、現実世界でのバリアフリーは一向に進んでいない。視覚障害者の駅のホームからの転落事故も後を断たない。
24時間テレビの多額の募金で恩恵を受けられるのはほとんどが身体障害者と肢体不自由者であり、精神障害者はそこから何ら金銭的援助を得られない。健常者は、目に見える障害しか障害としか認めていないに等しい。
でもそれは、障害者間でも同じである。身体障害者が、外見は健常者とまったく変わらないものの、心身を病んだ精神障害者のチックや先天性のトゥレット症候群の症状など、一見奇異にしか見えない特性を理解するのは難しい。同様に、五体満足な精神障害者が、視覚、聴覚、手足に不自由さを抱えた身体障害者のことを理解出来るだろうか? それは無理なことである。お互いに、頭ではわかっていてもーーというものだ。
金子みすゞの詩『私と小鳥と鈴と』のように「みんなちがって、みんないい」となってくれないのが現実だ。それが異なる障害を持った障害者と障害者の相互理解の難しさだ。
ーーこだまでしょうか、いいえ、誰でも。
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