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耳鼻科で働いていたときの話~本物の毒母を見た~

#エッセイ #体験談 #毒母 #自分が一番でなければ気が済まない人 #我が子を貶める母親

ーーもう10年以上の出来事なので、当事者の男の子は、恐らく今は18、19歳になっていると思う。男の子は、当時働いていた耳鼻科医院の常連患者で、必ず母親と、2つ下の妹と一緒に来院していた。

当時小2だったその男の子は、仮にAくんとする。

Aくんはぽっちゃりめの男の子で、おっとりとして穏やかな男の子。

地元の少年サッカーチーム(野球のリトルリーグのサッカー版)のメンバーであり、Aくんの母親はそのチームの主催者。しかも元Jリーガー(私はJリーグにもサッカーにもまるで詳しくないので、名前は失念。ただしその世界ではかなり有名な方)を専属コーチ兼監督に迎えた、地元少年サッカーチームの中では「メンバーは全員、小学生にしてプロ志向」という、レベルの高い部類のチームだった。

Aくんは小1からそのチームに参加していたのだが、ある日Aくんと妹、母親が来院した際、鼻風邪をひいたAくんの治療中に、院長先生、私、アルバイトの男子大学生・Bくんが診察室にいるにも関わらず、Aくんの母親はとんでもないことを口にした。

「この子、学校の学年校内マラソン大会でビリになったからサッカーチーム辞めさせたんです」と。

母親いわく、1位は同じチームに所属している男子だといい、チームメイトで1位とビリほどの差があるならいずれお前はチームの足を引っ張って恥をかく。恥をかく前に辞めなさい、といったところ、息子のAくんはそれに素直に応じたという。

聞いていた私は(はぁ?)という感じだった。 我が子が学年内のマラソン大会でビリになったーーなんて話を人前で平気で話すこと事態、その神経を疑うが、それ以前に、たったそれだけの理由であっさりチームを辞めさせるのも訳がわからなかった。

我が子がビリで、同学年のチームメイトの男子が1位。確かにそれを恥ずかしいと思ったり、そう感じるのは仕方ないとは思う。特に、学年内のマラソン大会、息子と1位男子とが所属する同じサッカーチームの主催者を勤めているなら、面目を潰されたにも等しいだろう。

しかし、Aくん自身は決してチームのお荷物などではなかったらしい。それを、母親の面目のためにAくんはチームを辞めさせられたのである。

恥をかくとか、自分のせいでチームの足を引っ張るとか、それはAくん自身がチームの一員として練習を重ねた結果に出すべき答えではないか。ちなみにAくんはサッカーを辞めた後、サッカーと同時並行して習っていた水泳は続けていたが、Aくんの母親はサッカー以外をスポーとして認めていないようでーー。

「ボク、サッカーは辞めたけど、水泳は続けてるよ!」

と、院長先生に対していう息子の言葉に対し、

「あぁそうね、水泳も一応スポーツよね」

と、あまりにも素っ気なかった。

正直にいう。              私はそのとき、Aくんの母親に対して、

(んっだ、このクソババア!)

と思ってしまった。

その後、院長先生がバイトのBくんに向かい、話しかけた。

「なぁ、あのお母さんちょっとひどいよなぁ」                 「ですよね、まだ2年生でしょ?まだこれから伸びるチャンスはいくらでもあるのに……」

男同士の会話には加わらなかったが、そう思っていたのはやはり私だけではなかった。

それからほどなくして、またAくんと毒母が来院した。そのとき、毒母が院長先生に質問した。

「診察券の番号、1の人っているんですか?」と。

個人情報というわけでもないので、院長先生は、

「○○さんって方のお子さんですよ。確か娘(Aくん妹)さんと同じ組(幼稚園か保育園)の子じゃありませんか? ーー何でそんなこと聞くんです?」                「いえ、診察券には数字が入ってるから、1の人っているのかなって思って」

穿ち過ぎだろうが、この会話を聞いていて、私はこの母親は、

【何でも自分がいちばんでなければ気が済まない人】

なのだろうと思った。診察券のナンバリングの1番が誰なのかすら、気になってしまうほどに。そして実際、ずっとそのように生きて来た人なのだろうと。常に一番を目指したい、何事も一番でいたいという気持ちは、立派な向上心だ。

しかし『一番』という存在は、たった一人しかなれないものなのだ。相撲の横綱しかり、学校のテストの学年1位しかり、金メダリストしかり、宝塚の男役トップしかり。それはいわば、ドラマや映画や漫画や小説の主人公のようなものである。皆が皆、一番になれるわけがない。

その後Aくんの診察が終わり、彼と母親が待合室で待っているとき、たまたま私はその場に居合わせた。

その耳鼻科医院には第2診察室があり、そこでは女性の副医院長が新生児~乳児を担当するシステムになっていたのだが、当然、赤ちゃん患者は泣き叫ぶ。治療に使用する器具からは、キュイーンという音もする。そのとき、Aくんは母親に向かって無邪気にいった。

「何だかこの部屋(第2診察室)、歯医者さんみたいだね」

子どもらしい素直な感想である。しかし、母親は息子の何気ないその一言に激怒し、声を荒げた。

「はぁ!?何いってんの、ここは耳鼻科よ、耳・鼻・科!歯医者なわけないじゃない!!!」              「……歯医者みたいって、いっただけだよ……」

Aくんは泣いたり涙ぐむこともなかったが、声のトーンを落としながらうなだれて、それきり押し黙った。やがてAくん母子の名字が呼ばれ、診察代を支払うと、ふたりは外部薬局に向かった。

(あんな言い方ねぇだろ、クソババア!)

正直、そう思った。~みたいだね、という子どもの言葉に対し、何故ああまで頭ごなしに否定するのか。恐らく、Aくん母はAくんが憎たらしくて仕方なかったのではないか。

Aくんがプロ志向の少年サッカーチームではどんな存在だったかは知る由もないが、チームの主催者である自分の息子がトロくて鈍臭い子であることが。

しかし、一人の人間がヒーロー、ヒロインという一番=主人公になれるのは、その人物の人生という舞台だけだ。

親が望む舞台で主人公に、一番に、ヒーロー、ヒロインになれる子どもなど、ごくわずかだ。

あの母親は、自分の「何でも自分いちばんでなければ気が済まない」という人生の規格と、自分の勝手な期待から外れたマイペースな息子が疎ましかったと、そんな風にしか見えなかった。

ーー現在、18、19歳になったAくんが今どんな性格になり、どんな進路を進み、どんな人生を送っているかなど、わからない。      サッカーチームを辞めさせられた後も続けた水泳に自分の存在意義を見つけ出したかも知れないし、水泳さえ母親に否定され、辞めさせられたかも知れない。

反抗期を迎え、幼い頃に自分を否定した毒母に激しく反抗する息子になったかも知れないし、母親の絶対的存在に、反抗期さえ迎えられず、自己否定感が恐ろしく低い人間になっているかも知れない。しかし、私がAくんの人生にもう二度と関わる事はない。

断言出来るのは、それだけだ。
















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