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【首斬り朝】私的セレクション/斬之二十二「生命綱木」

#マンガ感想文 #小池一夫 #小島剛夕 #時代劇画 #女の執念 #望まれぬ命 #私の哲学書

冒頭8ページは、黒い背景のサイレント劇から始まる。二人の男女を追いかける、出刃包丁を持った女。石に蹴躓いた女は立ち上がる間もなく女に背中を刺され、その場で絶命する。恐れおののいた男はさらに逃げ足を早めるが、出刃包丁の女は歯を喰い縛り、血まみれになった包丁を握ったまま、川べりまで男を追いつめると、男に体当たりしながらその腹に出刃包丁を深く突き刺し、ふたりは揃って川に落ち、水しぶきが上がったーー。

その女、おとよは女牢の中にいた。7枚重ねの畳の上に女牢名主に向かって、正座をしてこれまでのいきさつを語り終えて。

どてらを羽織った牢名主は問う。

「それでどうなったンだえ!?男は」   「まだ……生きています!ここへ入れられる前にカギ役さんから聞かせてもらいましたけど……二月や三月は保つだろうと……」

牢名主は腹の傷はくたばるにしても長びく、これからは暑くなるから傷口が膿むからまず助からないだろう、おまえの目的は結局は達せられたことになるからいいじゃあないかえ!というが、おとよはそれを激しく拒絶する。

「あの男が死んだということがはっきりわかるまで私は生きていたいんですッ」

と。おとよいわく、男にさんざん貢がされたあげく、さらにその借金を返すためにこの身体を苦界に身を沈めてまで尽くしたのに、自分を捨てて商家の女の家に入り婿になろうとした男と、その女を恨んでの凶行だったと、悔し涙とともに語る。

おとよの取り調べが済んで三月後、男が死ぬか生きるかの瀬戸際が同じく三月後。しかしおとよの斬首は三月後と決まっているが、男は手当てが良ければもっと生きのびるかもしれない。

おとよは牢名主に土下座し、何とか三月後の斬首を延期する術はないかと教えを乞う。

「ないことはないが!『女だから』ねえ/それをやるのは並大抵のことじゃアないよ!耐えられるかねえ!」 

と、牢名主は釘を差す。おとよはとうに捨てた生命(いのち)だと、牢名主にすがりつく。

その術とは、妊娠することだった。生まれてくる子に罪はない、打ち首は身ふたつ(出産を終える)になるまで延期されるとのことなのだが、しかしその術はあまりに凄惨な手段だった。

おとよを孕ませるのは女牢にも出入り可能な牢下男達。遠まわしにいえば、不可触賤民の男達ーー。最初の「仕込み」におとよは凛とした態度で臨むが、全裸になったことによる寒さ以前に、全身に鳥肌が立っている。そしておとよはふたりの女囚の手を借り、牢の格子の隙間から尻を突き出し、牢下男に貫かれた。

濡れてもいないのに貫かれる痛みと、喘ぎ声と屈辱から溢れる泣き声を塞ぐために手拭いを噛まされ、左右から女囚達に押さえつけられる。

その壮絶な光景を目の当たりにした女囚達は、みな我と我が身におとよを重ねたか、彼女らの同情を一心に集める。牢名主の特別の計らいによって、牢下男に射精された後、枕つきの敷布団の上に、かけ布団をかけて寝かせて一同に容態を心配され、労られるまでに。

海千山千の牢名主でさえ、身震いするような怨念だねえ!と言わしめたおとよは、やがて手助けもなしに自ら声を押し殺し、何人もの牢下男達と夜毎子種を仕込む。

春雨が降り、桜が咲き、散り、やがて蝉の鳴く夏となり、みなが寝静まる真夜中、女牢には明日斬首刑が執行される旨を伝える藁縄が外鞘(牢の通路側)にかけられた。女囚達はおとよを囲み、

「おとよ!明日だよ」          「でも間に合ってよかったねえ」     「なんとか生命綱木の赤子を仕込むことができてさァ」

我がことのように安堵する女囚達の言葉も耳に届かないほど、おとよは執念にとり憑かれている。

「あ あいつが生きてるかぎり……あたしゃァ……死ねないンだ」

そしておとよは牢名主に最後の忠告を受ける。「孕んでるってえことを牢屋同心なんぞに云っちゃアいけないよ/てめえの責任になることだから/その場で腹をぶっ叩かれて流産させられちまうこともあるからねえ」

「首斬り朝にじかじかに云うんだッ/それしなきゃア生命をつなぐ方法はないんだよッ!いいねッ!」

そこへ、配下を連れた牢奉行がやって来て、「とよ」と筆で記された半紙が一枚渡される。

おとよが斬首されることはないとわかっているが、女囚達は桶に汲んだ水で絞った布でおとよの全身を拭き清め、死に装束を着せてやる。

翌朝、今度は北町奉行所の同心達をともなって女牢にやって来た牢奉行は、

「御仕置者がある! 北町奉行所井上河内守さまお掛り/武州豊川郡里見村出!/二十一歳/二月六日入牢おとよ!」

出牢の際に行われる一連の儀式を終えると、下ろしていた髪を無造作にまとめ上げられたおとよは、経文を書きつけたいくつもの半紙を丸め、それを紙紐で結んだものを牢名主の手で首から下げられ、出牢する。

上半身を縄で緊縛され、両手首を後ろ手に縛られたおとよは、伝馬町牢屋敷の門をくぐる手前で、罪人の顔に面紙を付ける役目を負ったふたりの牢下男から、

「おめえがやりそこなった松吉は昨夜(ゆんべ)おっ死んだそうだぜ」

と、小声で伝えられる。驚愕に目を見開いたおとよの顔が面紙で覆われ、藁紐でくくりつけられる。

「まちげえねえ!苦しみもがいてくたばったってこったぜ!安心しねい」

「せっかく生命綱木の赤子を仕込んだが/その必要はなかったようだなァ」

恐らくふたりとも、この三月の間おとよと何度となくまじわっているのだろうが、ふたりともまるで他人事だ。

「し……死んだ!あいつが……死んだ!」

面紙の下で、おとよは涙を流す。土壇場に向かって一歩一歩歩みを進めながら、おとよはつぶやく。

「死んだ!」             「ひひひひ」              「死んだ……あいつが……」

ひひひひ、と忍び笑いをもらすおとよに、彼女を土壇場まで連行するふたりの牢下男達が、怪訝な顔でおとよを見つめる。

「死んだ……あいつが……」

いよいよ土壇場に座らされたおとよはそれでもぶつぶつと何ごとかつぶやき続け、牢下男達が縄を切り、なかば乳房が剥き出しになるまで死装束の両肩を下げられても、

「あ あたしが……地獄へ送ってやったンだ……」

とつぶやき、

「あいつを……あたしが……ほほほほ/ほほほほほ」

と、面紙越しに空を見上げて高らかに笑い出す。

朝右衛門は何か申しておるようだが遺言があらば聞き届けよう、といって牢下男に命じ、面紙を外させる。しかしおとよは、

「ほほほほほ/ほほほほ/ホホホホホホ」

と、狂ったように笑い続ける。

「何か云い残すことがあるか」

朝右衛門に問われ、おとよは正気を取り戻すと、朝右衛門とおとよの両眼と視線が重なり合う。しかしおとよは、

「ほほほほ……云い残すことなンてなあんにもありゃアしないね/ほほほほほほほほ」

しかしその直後、おとよは突然大量に嘔吐した。それまで気力で押さえ込まれていた、つわりの症状である。

突然、朝右衛門はおとよの腹を露にする。さほど膨らんでいるようには見えないが、朝右衛門は一目でおとよの妊娠を見抜いた。

「みごもっておるのか」         「な 何をするんだよッ死んでいく者に恥をかかせようってのかいッ」         「みごもっておるのかときいている」    「ほほほほ!ほほほほ!」

朝右衛門の問いかけに答えることなく、おとよは吐瀉物にまみれた顔で高笑いを続ける。

「正直に申すがよい!みごもっておらば刑の執行は身ふたつになるまで延期することも出来る」

と、朝右衛門は慈悲の言葉をかけるが、憎い男が死んだ今、おとよにとって腹の子は何の意味もない。

「あたしゃア早く死にたいんだよッ/地獄へ行ってざまあ見ろとツバをひっかけてやりたい奴らがいるンだよッ/さ!早いとこバッサリとやっとくれッ」

「生まれ来る子には何の罪もない!いかに母親とても胎内にある生命を道連れにすることは許されぬ」

朝右衛門の諭しにおとよは抗い、興奮のあまりおとよは苦しみながら大量に嘔吐した。

「あたしの子じゃアない!あたしの子じゃアないんだ~~~ッ」

土壇場の前で悶絶しながら、おとよは自分の吐瀉物にまみれながら、半狂乱で否定の言葉を叫び続ける。

「だ……誰が生むもンかッ!こ こんな汚い……汚い……/こ……こんな……汚い子なンか……誰が……うぐぐッ/あたしの子なンかじゃアないンだよ~~~ッ」

いよいよ錯乱したおとよは、自分の腹を自分の拳で激しく殴打する。

朝右衛門が腰に帯びた刀を抜き、鞘を両掌で握り、自分の頭上に掲げた。

そして、そ朝右衛門の口が唱え始めたのは涅槃経。おとよはぴたりと動きを止め、朝右衛門の唱える経に自ずと耳を傾けた。そしておとよの両眼から、我に返った証のような涙が流れ出す。

「諸行無常」              ーー鞘を握り締めていた朝右衛門の左掌が開かれ、親指と人差し指が同時に握られる。                  「是生滅法」             「生滅滅己」             「寂滅爲楽」              一文ごとに中指、薬指が折られ、最後に小指が折られ左掌が鞘を再び握り締めると同時に、朝右衛門の刀がおとよの首に振り下ろされる。斬首の寸前、おとよは、

「許してーーーーーーーーッ」

と絶叫し、その首は血しぶきを上げて、宙に舞った。

「母の意志にてこの世に生を受け得ぬ哀れなる生命」

「たとえ母の生命を永らえさせたとて/われとわが手で生まれ来る子の生命を断たんとするであろうや……」

「南無」

壮絶なラストである。おとよは罪を延期されようと、臨月を迎える前に何としてでも腹の子を殺そうとしたに違いないだろう。たとえ出産したとしても、おとよは生まれたばかりの子に手をかけていたはずだ。

おとよにこれ以上の罪を重ねさせず、生まれる前に、あるいは生まれて間もなく母親に手をかけられる哀れな子を生み出さないようにするためには、このような方法しかなかったのだ。

この世に生誕すると同時に母親に殺される子殺しが頻発する現代。しかしそれは現代病などではなく、遥か昔から人間が背負っていた業なのだと思い知らされるような一話である。

©️小池書院/道草文庫全⑩巻/電子書籍あり


                         

   












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