2023年共通テスト 世界史B 全問解説
2023年1月に実施された共通テスト「世界史B」の全問解説を公開します。
この全問解説は、
1 共通テストの問題を使って重要事項を整理したい受験生
2 世界史が苦手で、勉強方法がわからない高校生
3 世界史を学びたい社会人
に読んでほしいと思いながら書きました。
今年の共通テスト「世界史B」は難化しました。問われた知識が細かいからではありません。むしろ問題を解く上で必要な知識は定番のものばかりでした。ウィーン議定書の内容、カペー朝の王権強化、中国の官吏任用制、中国の農民反乱、ユスティニアヌス帝の治世、ササン朝の王2人、北魏の皇帝2人、明清の編纂事業、キリスト教の公会議、大西洋三角貿易など。しかし、問題を解くために読む資料が膨大で、しかも丁寧に読まなければ解けないように作り込まれた問題でした。問題数は34問と例年と同じなのに、資料や会話文の読解に多くの時間を費やされ、焦った受験生も多かったのではないでしょうか。資料の読解問題では世界史の知識を必要としない「国語」力を問う問題も多く見られました。高校生が真剣に世界史を学んできて受験する34問の中にそのような問題を見つけるたびに、正直、憤りすら覚えました。もちろんよく練られた問題です。問題作成側は大変な労力を要したことでしょう。
共通テストの形式には大きな問題があると私は思います。大問5つすべてに資料の読解が含まれており、「国語」力を問う資料の読解に偏りすぎているからです。資料問題は大問5つのうち1つで十分です。もしも資料の読み取りがそんなに必要なら、二次試験で出題すればいいと思います。世界史の基礎的な学習到達度を適切に測るには、センター試験の形式に戻すのが最善だと改めて強く思いました。
とはいえ今後、共通テストを受験する高校生にとっては今年の問題は貴重な練習教材です。この解説では細かな知識を使わずに、重要事項の知識だけでどうやって解答を導き出すか、その解答プロセスにこだわりました。また、現在の国際情勢を踏まえた上での出題となっているので社会人にとっても有益な教材になっています。共通テストの問題には高校での世界史の学習の指針が詰まっています。世界史でいま何を学ぶべきか、そのことを知る手がかりになるはずです。
全問解説では、次のような世界史の重要事項を整理しています。
問題はこちらから
https://nyushi.sankei.com/kyotsutest/23/1/exam/5370.pdfhttps://www.yomiuri.co.jp/nyushi/kyotsu/mondai/__icsFiles/afieldfile/2023/01/14/sekaishi_b_mon.pdf
1 答えは④ 近現代のロシアに関する出題
ロシアによるウクライナ戦争を強く意識した出題。「ア」は、本文から「19世紀にフィンランドを併合した」のはロシア。1815年のウィーン議定書の内容が問われた。①ピョートル1世なのでロシアについての選択肢だが、ロシアが北方戦争で勝利したのはスウェーデンなので誤り。ロシアについての正しい選択肢を選ばせる問題でいきなりのひっかけ問題。これを選んでしまった受験生も多いのではないか。②プロイセンとの戦いでシュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国を失ったのはデンマーク(1864年デンマーク戦争)。③ピウスツキの独裁は戦間期のポーランド。④BRICSは21世紀初め、高い経済成長を続けるブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの5カ国。ロシアが含まれるこの選択肢が正解。BRICSを正確に覚えている受験生は少ないだろう。②と③はすぐに除外し、①と④で悩み、①の北方戦争の内容で誤りに気づいて、消去法で④を選ぶことを想定しているのだろう。
2 答えは③ 第一次世界大戦に関する出題
①オスマン帝国は「同盟国側」で参戦したので誤り。「第一次世界大戦に同盟国側で参戦」という切り口で、「オスマン帝国、ブルガリア」を選ばせる問題は頻出。②西部戦線でフランス軍がドイツ軍の進撃を阻止した戦いは1914年のマルヌの戦いなので誤り。1914年のタンネンベルクの戦いは、東部戦線でドイツのヒンデンブルク将軍がロシア軍を破った戦い。③イギリスは戦後の自治の約束と引き換えに、インド兵150万人を動員したので正しい。④「十四か条の平和原則」を1918年1月に発表したのは、アメリカのウィルソン大統領なので誤り。レーニンが1917年11月に無併合・無償金・民族自決を原則とする「平和に関する布告」を発表すると、ウィルソンはこれに対抗して民族自決の条文を多く含む「十四条か条の平和原則」を発表した。
3 答えは② 女性参政権に関する出題
室井さんのメモ ニュージーランドが自治領となったのは「1907年」。会話文からニュージーランドで女性参政権が実現したのは1893年なので誤り。この問題を解くにはニュージーランドが自治領になった「1907年」を覚えておく必要がある。共通テストでも重要事項の年号暗記は必須なのだと思い知らされる選択肢。
渡部さんのメモ 会話文から第一次世界大戦で女性が工場などで働くようになり、イギリスでも1918年の第4回選挙法改正で女性参政権が実現したので正しい。ただし、21歳以上の男性と30歳以上の女性とされ男女平等ではなかった。イギリスで男女平等の参政権が実現したのは1928年の第5回選挙法改正。21歳以上の女性にも参政権が認められた。
佐藤さんのメモ キング牧師の公民権運動は1950年代〜60年代で「第一次世界大戦末期」ではなく、黒人解放をめざした運動なので誤り。アメリカで女性参政権が実現したのは、1920年、民主党のウィルソン大統領のとき。キング牧師の公民権運動がベトナム反戦運動と結びついたことも覚えておこう。キング牧師は、1963年の「ワシントン大行進」で「私には夢がある」を演説し、1964年にはノーベル平和賞を受賞。1964年、ジョンソン政権は公民権法を制定した。
4 答えは② 北魏の風習 ★資料の読解
「著者の推測」では、北方の女性が活発なのは資料から「平城に都が置かれていた時代から」。平城に都を置く王朝は北魏。したがって答えは②。ちなみに①西晋の滅亡は316年。②北魏で覚えておくべき年号は華北統一の439年。③六朝は、建業(のち建康、現在の南京)に都を置いた呉・東晋・宋・斉・梁・陳の6王朝。④魏晋南北朝時代は後漢滅亡の220年から隋による中国統一の589年まで。「国語」力が問われる問題。
5 答えは① 唐の則天武后が登場する背景 ★会話文の読解
「この時代の北方の状況が、中国に女性皇帝が出現する背景」と中村さんが考える根拠が問われている。資料から北方の女性は社会的活動が活発で、南方の女性は社会的活動には消極的。「北方の女性の社会的活動が活発」であることを示す選択肢を選ぶ。②唐で「科挙官僚」を登用したのは、中国史上唯一の女帝・則天武后だが、科挙官僚が政治の担い手になったことは「中国に女性皇帝が出現する背景」ではないので除外。③「大運河の完成」で「江南が華北に結びつけられたこと」は、南方の影響が強まる要因。ベクトルが逆なので除外。④北魏の孝文帝による「漢化政策」は、北方の鮮卑の風習を南方の漢人風に改める政策。南方の影響が強まる要因。ベクトルが逆なので除外。①「唐を建てた一族が、北朝の出身」なのは北方の影響が強まるベクトル。中国で唯一の女性皇帝は唐の則天武后。唐に女性皇帝が出現した背景として、女性の社会的活動が活発な北方の影響が説明されているので①が正解。これも「国語」力が問われる問題。
6 答えは④ 儒学史に関する出題
魏晋南北朝時代以降の儒学について正しい選択肢を選ぶ。①清談の流行は魏・晋の時代。後漢末からの政治的混乱を背景に儒教が衰退し、老荘思想が流行した。清談は老荘思想に基づくので儒学とは無関係なので除外。②董仲舒の提案で儒学が官学化したのは前漢の武帝。魏晋南北朝以前の時代なので除外。③寇謙之を重用した北魏の太武帝は道教を国教化した。寇謙之は道教を大成した人物で儒学とは無関係なので除外。④唐の孔穎達が編纂した『五経正義』は科挙のテキストになり、唐代は儒学が発展したのでこれが答え。
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