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17〜18世紀の文化 ②美術・文学


17〜18世紀のヨーロッパ絶対王政から市民社会への過渡期。文化も「宮廷文化」から「市民文化」へと展開する。17世紀豪壮華麗なバロック様式。国王の絶大な権力を見せつけるかのようで、どこか成金趣味。18世紀繊細優美なロココ様式。上品で知的なのだけれど、お金の使い方がわかった頃にお金が無くなるように、まもなく市民革命で国王の権力は失われる。17世紀の華やかなバロック18世紀の上品なロココ。建築と絵画から時代の雰囲気が伝わってくる。

17世紀半ばに覇権国家となったオランダには、世界の一体化で莫大な富が集まり、いち早く豊かな市民層が生まれた。その象徴が集団肖像画のレンブラントの「夜警」。一般市民が肖像画を依頼できるくらい豊かになった。さらにはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。名もなき少女までもが肖像画の題材となった。高価なラピスラズリの青とともに、当時のオランダの豊かさがうかがえる。


⑴美術

【重要ポイント 17〜18世紀の文化 美術】
①17世紀 豪壮華麗なバロック美術
フランスのヴェルサイユ宮殿 ☆ルイ14世

ルーベンス(フランドル派)  「マリー・ド・メディシスの生涯」 ☆外交官
ファン=ダイク(フランドル派)「チャールズ1世」 ☆イギリスの宮廷画家
フェルメール(オランダ)   「真珠の耳飾りの少女」「牛乳を注ぐ女」

レンブラント(オランダ)   「夜景」 ☆光と影の画家・市民の姿を描いた
ベラスケス(スペイン)    「女官たち」「ブレダの開城」☆宮廷画家
エル=グレコ(スペイン)   「受胎告知」 ☆クレタ島出身のギリシア人

②18世紀 繊細優美なロココ美術
プロイセンのサンスーシ宮殿 ☆フリードリヒ2世・ベルリン郊外のポツダム

ワトー(フランス)     「シテール島への巡礼」


①ヴェルサイユ宮殿 「鏡の間」

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1871年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が即位。1919年、ヴェルサイユ条約が調印。


②ルーベンス 「キリスト降下」

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アントウェルペンの聖母大聖堂。『フランダースの犬』では、少年ネロがこの絵を見て息を引き取った。


③レンブラント 「夜警」

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集団肖像画。17世紀、覇権国家となったオランダの豊かな「市民文化」を象徴。


④フェルメール 「真珠の耳飾りの少女」

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ターバンの青色は非常に高価なラピスラズリ。17世紀のオランダでは一般市民の少女まで肖像画の対象になった。


⑤ベラスケス 「女官たち(ラス・メニーナス)」

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中央は5歳の王女マルガリータ。左のベラスケスが奥の鏡に写る国王夫妻を描いている。


⑥エル・グレコ 「オルガス伯の埋葬」 ☆トレドのサント・トメ教会

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下は現世の葬儀。中央の聖ステファノ(左)と聖アウグスティヌス(右)が亡骸を抱える。上は天界のイエス、マリア、洗礼者ヨハネ。


⑦ワトー 「シテール島への巡礼」

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ギリシアのシテール島は、愛の女神アフロディーテが最初にたどり着いた愛の聖地


⑵音楽

【18世紀の文化 音楽】
①バロック音楽
バッハ(ドイツ)  「マタイ受難曲」 ☆近代音楽の父
ヘンデル(ドイツ) 「水上の音楽」「メサイア」☆バロック音楽を大成

②古典派音楽
ハイドン(オーストリア)   「交響楽の父」
モーツァルト(オーストリア)  歌劇「フィガロの結婚」「レクイエム」



⑶文学


【17〜18世紀の文化 文学】
①ピューリタン文学(17世紀)

ミルトン(英)  『失楽園』
バンヤン(英)  『天路歴程』

②風刺文学(18世紀)

デフォー(英)  『ロビンソン=クルーソー』
スウィフト(英) 『ガリヴァー旅行記』

③フランス古典主義(17世紀)
コルネイユ(仏) 『ル=シッド』 ☆悲劇作家 
ラシーヌ(仏)  『アンドロマック』 ☆悲劇作家 
モリエール(仏) 『人間嫌い』『タルチュフ』 ☆喜劇作家
 


<フランス語の統一と洗練>
ルイ13世の宰相リシュリューがアカデミー=フランセーズを創設
→フランス語はヨーロッパの上流社会で広くもちいられた


⑷生活革命

世界の一体化がすすむことで、西ヨーロッパでは多くの人が海外からのタバコ・茶・砂糖・コーヒーなどを盛んに消費するようになった。当初は貴族が独占していたが、より豊かになった市民層にも日常の消費生活に浸透していき、現代につながる生活文化を形づくっていくようになった。

【生活革命(17〜18世紀)】
①コーヒーハウス イギリスのロンドン
②カフェ     フランスのパリ
→新思想や世論が形成され、啓蒙思想が広がった ☆18世紀末のフランス革命へ
【重要ポイント 大西洋三角貿易(17〜18世紀)】
西ヨーロッパの武器・雑貨を西アフリカで黒人奴隷と交換し、黒人奴隷をアメリカ大陸・カリブ海地域へ運んで砂糖・綿花を得て、西ヨーロッパに運ぶ貿易
☆この富の蓄積が、18世紀後半のイギリスでの産業革命を準備する



【センター試験の過去問⑴】
ヨーロッパ文化について述べた次の文a〜cが、年代の古いものから順に並べなさい。
a ランケが、史料批判に基づく歴史学の基礎を作った。
b マキァヴェリが、『君主論』を著した。
c 喜劇作家として、モリエールが活躍した。
<答え> b→c→a
a 19世紀  b 16世紀(ルネサンス) c 17世紀


【センター試験の過去問⑵】
旅行に関わる書物について述べた文として正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
① ミルトンが、『ロビンソン=クルーソー』を著した。
② スウィフトが、『ガリヴァー旅行記』を著した。
③ 仏図澄が、『南海寄帰内法伝』を著した。
④ 孔穎達が、『仏国記』を著した。
<答え>②
①『ロビンソン=クルーソー』はデフォー  ③『南海寄帰内法伝』は義浄  ④『仏国記』は法顕


【センター試験の過去問⑶】
デフォー
の事績について述べた文として正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
「夜警」で市民の姿を描いた。
『失楽園』を著した。
万有引力の法則を発見した。
『ロビンソン=クルーソー』を著した。
<答え>④
『夜警』レンブラント ②『失楽園』ミルトン ③万有引力の法則ニュートン


【早慶良問】
①ルイ13世の宰相リシュリューによって1635年に創設され、言語・文化政策の一翼を担った学術団体の名は何か。

②オランダのレンブラント市民たちの集団肖像画である「【 】」を制作した。

「真珠の耳飾りの少女」など、柔らかい光の効果の下、市民の暮らしや風俗を描いた少数の作品で知られるオランダの画家は誰か。

④スペインでは、1625年のオランダとの戦争を題材にした「ブレダの開城」を描いた【 】が、フェリペ4世寵愛の宮廷画家として活躍した。

クレタ島に生まれ、イタリアで修行した後にスペインのトレドに定住し、一時はフェリペ2世の宮廷画家にもなった人物は誰か。

⑥17世紀フランスの喜劇作家で、 宗教の偽善や貴族社会を風刺した作品で有名なのは誰か。 彼の作品は、ルイ14世の宮廷でしばしば上演された。

⑦アイルランド生まれの作家で、トーリー党の論客でもあり政府攻撃の論文を数多く書き、その後、イギリス風刺文学の最高傑作 『ガリヴァー旅行記』 を発表したのは誰か。

絶対王政時代には、各国で見事な宮殿がつくられた。 なかでも【a】 様式建築の代表とされるヴェルサイユ宮殿、【b】 様式建築の代表とされるサンスーシ宮殿は有名である。
<答え>
①アカデミー=フランセーズ  ②夜警  ③フェルメール  ④ベラスケス  ⑤エル=グレコ  ⑥モリエール  ⑦スウィフト  ⑧a バロック b ロココ




おわりに バッハの「マタイ受難曲」

「近代音楽の父」ヨハン・セバスティアン・バッハは18世紀のドイツで活躍した。バッハ作曲の「マタイ受難曲」と「ミサ曲ロ短調」は西洋音楽の最高傑作と言われる。「ミサ曲ロ短調」の歌詞がラテン語であるのに対して、「マタイ受難曲」の歌詞はドイツ語。「マタイ受難曲」は、『新約聖書』の「マタイ福音書」の重要な部分に曲をつけたもの。『新約聖書』をドイツ語に訳したルターとバッハには不思議な接点がある。

1521年、教皇から破門されたルターは、神聖ローマ皇帝カール5世からヴォルムス帝国議会に呼び出されたが、自説の撤回を拒否し、皇帝はルター派の禁止を決めた。神聖ローマ皇帝に対抗していたザクセン選帝侯フリードリヒの保護のもとで、ヴァルトブルク城にかくまわれたルターは『新約聖書』のドイツ語訳を完成させた。こうして民衆が直接キリストの教えに接することができるようになり、ルターの訳した聖書はドイツ語の標準となった。

バッハは1685年、ドイツ中部チューリンゲン州のアイゼナハに生まれた。この都市にヴァルトブルク城がある。ルターが聖書をドイツ語に訳した地にバッハは生を受けた。そして、バッハもルター派プロテスタントの信徒だった。

紹介したい場面は「ペテロの否認」のシーン。

ペテロは何度もイエスを裏切ってしまう弱い男だ。イエスは逮捕前、ペテロに言った。「あなたは今夜、私のことを知らないと3度言うだろう。そうしたら鶏(ニワトリ)が鳴く」。ペテロは「そんなことは決して言わない」と断言した。それなのにイエスが逮捕されると、ペテロはイエスのことを知らないと3度言い、予言通りに鶏が鳴いた。後悔に襲われるペテロ。その心理を描写するアリアがなんともせつなく胸を打つ。

アリア「憐んでください、神よ」(第39曲)

なんて私は弱い人間なんだろう。イエスを裏切ってしまった。後悔が込みあげてくる。でも、ここで終わらないのがバッハ。いや、待てよ。イエスは私が裏切ることをはじめから知っていた。「自分の弱さ」を知りなさいとイエスは教えてくれているのではないか。きっとそうだ。ありがとう、イエス。後悔の念が、感謝の気持ちへと昇華していく。
私にはそう聞こえた。

音楽評論家の吉田秀和氏は「もしあらゆるヨーロッパの音楽家の中でただ一人をとるとしたら私はJ・S・バッハをとるだろう。また、もし一曲をとれといわれたら、バッハの『マタイ受難曲』をとるだろう。『マタイ受難曲』は、西洋文明の生んだ最大の音楽遺産。ペテロの否認の部分で泣かない人は、音楽を聴く必要のない人」とまで書いている。

20代の後半、落ち込んだときにこの曲を聴いた。深夜、東京のマンションで、電気を消し、ロウソクの火を灯した。BOSEのスピーカーだった。1958年録音、カール・リヒター指揮の名盤。16世紀のルター、18世紀のバッハ、20世紀のリヒターの想いが、まっすぐ伝わってきた。イエスの教えを聞き、ルターのドイツ語をたどり、バッハの美しい旋律に包まれながら、「いま、私は人類の文化と繋がっている」と深い感動を味わったのを覚えている。

バッハ作曲「マタイ受難曲」 カール・リヒター指揮

「マタイ受難曲」はプロローグだけでも聴く価値がある。イエスが十字架を背負い、足を引きずり、ゴルゴダの丘を進む場面。ものすごい緊張感が伝わってくる。大変なことになった、と人々がじっとイエスを見つめる。でも、もう助けることはできない。なんて残酷なことを。ついにイエスが十字架に掛けられた。合唱が始まる。悲痛な気持ちでイエスを眺めているのに、なぜか気持ちが軽くなっていく。それは人類の罪を背負ってイエスが天に召されたから。こうして深い悲しみが、感謝へと昇華していく。

バッハは、音楽を通じて、『聖書』の大切な教えを多くの人々に伝えようとしたアーティストだった。




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