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メジャー・セブンスのすべて(自己紹介Pt2)

 メジャーセブンスという音をご存知だろうか。あっ、まってブラウザバックしないで!絶対むずくないからぁ!!
 このnoteでは、短三度とか増五度とか言われたら頭が爆発しそうになってしまうかつての私のような方も安心、楽理的な話は一切しません。(というか、できません。)ただし、途中から自己紹介も兼ねて私の精神世界にだんだんと入り込んでいく予定です。


メジャーセブンスという音

 まずは、この曲の冒頭でなる「ジャーン」という音を、そこだけで構わないので注意深く聴いてみてほしい。もし気に入ったなら一旦読む手を止めて、この曲を通しで聴いてみてほしい。
 この音がどういうものか、あるいはこの曲がどういう印象の曲か、あえて私から語ることは今はしない。ただ、この曲の冒頭で鳴らされるギターによる複数の音の組み合わせの名前がメジャーセブンスと呼ばれることを提示するに留める。
 日本においては古くは荒井由美に代表されるニューミュージック、最近ではシティポップリバイバルまで、あるところまで時代がくだると幅広く使われ、聴かれるようになる音である。
 

メジャーセブンス感覚

 ある時から私の中に芽生え、そして一瞬で消え去り、激しく探究心を掻き立てられるに至った”感覚”がある。
 やすらぎと静けさに溢れ、一方で残酷なまでの揺らぎがある。鮮やかで、しかし複数の色は陰影の濃淡を除いて出てこない。泉にも海にも森にも例えられない感覚。
 それをしばらくして私は”メジャーセブンス感覚”と自分の中で呼ぶようになった。作曲に触れたてのころ、音楽兼英語の先生である大叔母に教えてもらったメジャーセブンスの音色がいつも、記憶の中のその感覚には流れていたからだ。
 この感覚は一体どこからやってきたのか? ”ある時”とはいつなのか?
もうその時の記憶は曖昧だが、はっきりしているのは、あの映画を観たことが大きいということだ。

I wanna be just like a melody, just like a simple sound……


 岡崎京子作・リバーズエッジの殺伐とした特異な世界観にハマっていた私は、母に似たような作品がないか尋ねてみた。すると、「『リリイ・シュシュのすべて』はどう?」という答えが返ってきた。Amazonプライムにはなく、手元にDVD再生機器もないそのとき、コスパの悪いAmazonビデオのデジタルレンタルで見たのを覚えている。
 今考えれば、陰鬱な映画である。主人公は親友を失い、万引きしてまで欲しかったCDを真っ二つに破壊され、彼と痛みを少しでも分つ女の子と共に際限ない暴力にさらされる。そして彼の意中の人も最悪の形でその暴力に巻き込まれてしまう。そんな様子がときにどぎついコントラスト、ときにハンディカメラの粗い映像を通して映し出される……。
 しかし、「リリイ・シュシュのすべて」を見てしばらくは、精神的ショックを受けるどころかひどく興奮していたのを覚えている。こんな美しい映像表現があるのかと。真緑の田園風景、カイトの舞う夕暮れ、ラストシーンで流れるドビュッシーのアラベスクは、映画の陰鬱さや醜さ、グロテスクさを補うどころか、それらにマイナス1を掛け算して、この世のものとは思えぬ美しさをうみだしているではないかと。
 おそらくその頃だろう、”あの感覚”の虜になったのは。

失われた感覚を求めて

 それから、この感覚を私は音楽に求めることになる。
その頃から音楽の好みがかなり狭くなった。音楽に一つの世界観しか求めなくなったからである。
 アンビエント的な世界観が一番求めているものに近いのでは、ということには直感的に気づいていたが、どうもアンビエントの家具の音楽的な精神性とは相容れなかった。
 アンビエントとのつながりの深いシューゲイザーも掘ってみたが、ただ一曲を除いてあまり興味を引くサウンドは見つからなかった。(決してリリイシュシュをサンプリングしているから、という理由ではない。)

印象派との出会い

 そんな日々がしばらく続いたが、ヒントは身近なところにあった。リリイシュシュで何度も流れるのは? ドビュッシー。 そのドビュッシーの音楽史上の位置付けは?

当時は恥ずかしながら、クラシック音楽はバロック、古典、ロマンまでしか知らなかった。印象派を知ったのは、改めてラストシーンに流れるアラベスクについて考え出したときである。
 しかし、もっとも印象派で気に入ったのはドビュッシーではなく、ラヴェルである。

 この曲の冒頭を聴いたとき、まさしく自分の追い求めていた感覚を音楽という媒体で再現してくれた曲だと思った。 
 それから自らも、印象派の要素を音楽に取り入れようと試行錯誤する日々があった。以下はその一例である。




それから親友との決別、自らの精神の限界を東京滞在中に垣間見、親友との和解、精神科入院、人生二度目の大学合格などを経て今に至るといった感じだ。
 現在はその感覚の記憶は薄れてはいるものの、詳しくは言えないが、まだ探求は終わっていない。いずれその成果をみなさんに披露できれば、と思う。





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