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なごり雪

2020年3月29日、洗礼式の日に東京に雪が降り、
27年前の同じ頃に、東京に雪が降った日のことを思い出している。

大学4年も終わりに近づき、私はどこの企業にも内定を貰えないでいた。そんな私をみて、四ツ谷三丁目にあるバイト先の某カフェ社員さんが私に、ここにこのまま就職したら? と言ってくれた。
私は当時、就職するなら出版社!と考えていた。物書きに憧れていた私は、言葉に関わる仕事がしたかった。したかった、といっても本当は就職なんてしたくなかった。4年生になった途端に周りが一斉に就職活動を始めたのをみて私は恐怖におののき、同時になんとも言えない喪失感に襲われた。

お前たち、なんで急に大人になろうとするの? てか、よーいどんが鳴ったのはいつ? そのスーツはどこで買ったの? 教えておじいさん、教えて。
ハイジばりに私は叫んだ。魂の叫びである。

まるで裏切られたような気持ちだった。
この間までカラオケで「自由」を歌っていたのではなかったか。
しかし言葉は身体の奥の空洞に飲み込まれていく。

私はなんの準備もせずに、慌てて思いつくところに筆記試験を受けに行った。田舎の婦人服屋さんで親に買ってもらった、明らかに場違いな白いスーツを着て。スタートが遅れていたので、応募できる企業もどんどん限られていく。ネットもまだない時代である。ワープロ&感熱紙eraである。2ちゃんねるもまだ存在していない。そんな時代に、みんながどうやって情報を集めているのかもよくわからなかった。いつも未来よりぼんやりとした他の場所を見ていた。

大学の就職課みたいなところに行くと会社の求人情報がある。私はそのときはじめて、TBSの正式名が東京放送(当時)であることを知った。そういえば、先輩が広告代理店H社に内定した話を聞いて、「……お菓子屋さんか」と呟いたことを思い出す。マスコミを受けようとしているくせに、というより一大学生としてはもはや親に仕送りはもういりませんと謝罪しなくてはならない知識レベルである。
だから私は「最近の若者は」などと驕った発言はけっしてしないと心に決めている。身の程は心得ている。
井の中の蛙は、井戸の外で行きていく方法を、大学生活3年以上かかってもまったく獲得していなかった。純文学を好んで読み、バイトと恋愛しかしていなかった。割合でいえば2:3:5。こうしてみると、それで十分なのじゃないか? という気がしないでもない。
「読書とバイトと色恋」。やっぱり結構いい感じなのじゃないかと思う。

嫌だと思いつつ形だけの就職活動をしばらくした。どこにも行きたくなかった。まさにモラトリアム人間の典型である。それでも思いついたようにまばらな就職活動は続けていたが、4年の夏に起こったある出来事をきっかけにすべて止めてしまった。その理由はちょっと書けない。墓場までもっていく話(その1)だ。

そこに先の社員さんの言葉である。この店で私は珈琲の美味しさというものを知ったのだ。東京に残れるならそれも悪くないかもしれない。けれどもその話を実家の親にすると、
「茶店の店員にするために苦労して大金かけて東京の大学に行かせたわけじゃない」とキレられた。
ひどい差別的発言だ。今の私なら逆ギレして、茶店最高じゃねーか!とその愛すべきカフェに残っただろう。しかし時はまだ90年代、「企業戦士」「24時間戦えますか」「勤め上げて定年退職」などという言葉がブイブイ言いながら飛び交っていた時代である。一流企業に就職してバリバリ働くのがやっぱりかっこいい、私もそんな考えに少なからず影響を受けていたのだと思う。
けれども、墓場まで持ち越しストーリーにより人生のやる気を失っていた私は、親にキレ返す元気もなく言われるままに地元に戻り、いわゆるコネをつかって地元ではメジャーな会社で働くことになった。

27年前の雪が舞う春のある日に、上野発の特急電車に乗った。東京での生活を切り上げて田舎に戻るためだ。ホームで電車が来るのを待った。隣には当時の彼が複雑な笑顔で立っている。まさに「なごり雪」の歌詞ばりのシーンがそこにあった。今でもこの曲を聴くと、味付け濃いめの甘辛いおかずと食べる白米のごとく泣ける。

こんな場面を思い出してしまったのは、季節外れの雪が降ったせいだ。そしてその日、美しい別れの場面に私もいたからだ。
その日は、洗礼を授けてくれた牧師さんの退任の日でもあった。
冒頭、さらっと書き流したけれど「洗礼式」があったのである。コロナの自粛による教会閉鎖に伴い、ごくわずかな関係者のなかでひっそりと行われた洗礼の礼拝。お別れの言葉を牧師さんに直接伝えられない人々がたくさんいた。そう思うと切ないのに、なんでこんなに清々しくもあるのだろう。悲しいと美しいは同義だと教えてくれた人がいた。そんな別れの日に私はいたのである。
洗礼によって、私は新しい私になったのだろうか。
過去のことをこんなにもグジグジと思い返している私は、やはりちっとも変わっていないのではないだろうか。
だけれども、この美しい別れの場面に導かれてそこにいて、なんの意味もないはずがないのではないだろうか。

数年間何も書けずにいた。
曲がりなりにも、白いスーツを着て言葉に関わる仕事がしたいと言っていた私である。中二病発症者だと一読でわかるような小説を、行くあてもなく書き続けている私である。そんな私がひっそりと言葉を綴り発信を続けてきたサイトのもとに、ある日誰かがやってきて私を責めた。それ以来、私は何も書けなくなった。
言葉が怖い。
そして人が怖い。
別れさえ叶わない断絶があることを知った。
書くってどういうことだったんだっけ? 書かないうちに書き方もよくわからなくなった。だから今、こうして何かを書こうとしている私は、やっぱり少しは新しい私なのではないか。
新しくなるとはつまり、絶望から再び希望のかけらのようなものを見つけることかもしれない。

遠い春の雪の日、私は歌詞のとおり「東京で見る雪はこれが最後」だと本気で思っていた。
しかし時は流れて、再び東京で暮らし何度も東京を舞う雪を見て、そしてまた性懲りも無く新たな職を探している。しかもなぜかまた学生なのである。
なんだよ全然成長してないじゃないかと、井戸より深いため息を吐く。
吐いた息はもう一度吸う。死ぬまでそれを繰り返す。
深く吐けば吐くほど大きく吸える。
蛙はどこに行くのか。

春の雪が降った。
別れはそのまま新しい道に続いていく。

あの時あの四ツ谷三丁目の店で一緒に働いていた人たちは、
私を駅のホームで見送ってくれたあの彼は、
その後出会っては別れたたくさんの人たちは、

この世界のどこかで、今も元気に暮らしていますか?

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