白い煙突と雲

#小説 #海外

1.ふしぎな工場
その工場は、町外れの原っぱの真ん中にあった。何を作っている工場なのかを、街の人たちは知らなかった。それなのに誰もそのことを気に留めてはいなかった。原っぱは夏になると背の高い草で覆われる。けれども、その工場の周りだけは不思議といつも整えられていた。いつ誰が整えているのかを知る者もいなかった。
工場はいつも静かだった。煙突からは白い煙が細く立ちのぼり、その先には空があった。煙は青空に達するとさまざまな形の雲に姿を変え、子どもたちは「さくらんぼだ」「ヘリコプターだ」と指を差しては喜んだ。それで誰もが、その工場はきっと人々を幸せにする素敵な何かを作っているのだろう、とそれぞれに納得していたのだ。

2.ラビットソン
ラビットソンは工場で働く若者の一人である。彼は、叔父のハレの紹介で一ヶ月前にここへやってきた。働く、とは言っても、この一ヶ月というものおつかいで郵便局へ行ったり、荷物を受け取ったり、あるいは事務室の掃除をしたりしていただけなので、彼でさえ工場の役割を知らなかった。

ある日、ラビットソンはこっそりと製造ラインの扉を開けて覗いてみた。すると、中は想像していたよりもずっと狭く、彼のアパートのちょうど三個分ほどしかなかった。それに、先ほどまでいた事務室の暑さとは対照的に、涼しい、というより冷たい空気で覆われていた。壁は一面白い。
部屋の真ん中、朽ちかけた小さな丸椅子に、工場長がこちらに背中を向けて腰掛けていた。下を向いてごそごそやったかと思うと、白いなにかが現れ、みるみるうちに大きくなった。それは風船だった。
ふと気がつくと、工場長のそばに人が立っていた。いったい今までどこにいたのだろうか。それとも扉の隙間からは死角になっていただけで最初から近くにいたのかもしれない。
風船はもう、ゆうに“人が入れそうな大きさ”まで膨らんでいた。

「いいのかい?」
聞き慣れた声が静かに語りかける。
「ええ、なにも。ぼくに思い出はありませんから」
ラビットソンよりも少しだけ幼く見えるその青年は、そう返事をすると風船の中へ入っていった。風船は一度だけ大きくたわみ、そのあとすぐに人がしゃがみこんだような灰色の影が見えた。
工場長は葉巻に火をつけるとまずゆっくりと吸いこんで、それから細く長く煙を吐き出した。ラビットソンには、その時間が永遠に続くように思えた。葉巻を吸い終わった工場長は、膝に手を当てて立ち上がると、風船を持ち上げた。それは驚くほど簡単に、ひょい、と持ち上がった。ラビットソンの視界は狭く、その先がよく見えなかったので、彼は緊張しながらもう少しだけ扉を開いた。部屋の一番奥には、大きな穴が空いていた。あまりに穴が大きかったのと、穴の奥の壁も他と同じように白く塗られていたために、彼がそれを穴だとはっきり認識したのは、工場長が風船をそこへ置いた、というよりふわりと投げ込んだときだった。風船は少しだけ跳ねるようにたわんで、もとの形に戻った。穴には戸がついていた。工場長はシャッターを閉めるようにその戸を下ろすと、さきほど葉巻に火をつけたマッチを取り出し、戸に開けられた小窓から落とした。ラビットソンは思わず、あっ、と声を上げそうになったが、必死に息を飲み込んだ。彼の予想に反して、戸の内側、穴の中からはなんの音もしなかった。工場長はただ黙って小窓を見つめてた。

ラビットソンはそれから幾度もそういった光景を目にした。そして、風船に自ら入っていく彼らがどういった人たちなのかも次第にわかってきた。彼らはきまって身寄りがなかった。死んだあとも、誰にも悼まれず、埋葬されることすらない者たちだ。白くて少し触れただけでかたちの変わる、弾力のある風船。子宮のようにやわらかであたたかな棺桶。その棺桶に、さまざまな品物を詰める者もいた。泣きながら入って行く者も、静かに淋しげなほほえみをたたえている者もいた。しかし彼らはきまって最期に「ありがとう」と口にした。

工場長はまだ、ラビットソンがひみつを知っていることに気づいてはいないだろう。
煙突からは今日も白い煙が立ち上り、雲が子どもたちの笑顔を誘っている。

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